躾をゼロとした場合

【人生・社会コラム】 人には躾が欠かせない。躾(仕付け)とは広辞苑で「礼儀作法を身につけさせること、または身についた礼儀作法」と意味を記している。礼儀とは人が守るべきもの。作法とは決まったやり方。


経済学は時として、極端にして物事を考える。事象の理解を促進するためだ。もし躾がゼロ、まったく躾られなかったら。それは人が守るべきものを守らず、決まったやり方をしない者となる。


これが良くないことは、すぐに分かるはずだ。ゆとり世代が非難されやすい理由は、ここにある。ゆとり世代を二十代としよう。三十代以上八十歳未満の先輩達が築き上げてきた社会の守るべきものを守らず、決まったやり方をしない者がいる。彼らは社会の規範よりも自己主張をする。


彼らを責めることが本稿の目的ではない。彼らを躾なかった者、つまり親をはじめとする大人が悪いのだ。本稿の目的は躾が社会に及ぼす影響である。


躾る対象は子どもだけではない。社会人になった大人も礼儀作法を、その組織の先輩が教えるだろう。もし組織による躾がゼロなら。その組織の信用は、みるみる下がり、存在意義を失う。企業でいえば倒産だ。契約の内容を守らず、決まった仕事の手順で行わない。想像するだけで、その様な組織は惨憺たる状況になる。


どこまで躾ければ良いかは不明だ。だが、いつの時代にも躾のレベルが高い者はいる。そのレベルが高ければ高いほど、当然に重宝される。そして人生のステージを分けてみても、躾はなくならない。新入社員、係長・課長・部長、常務・専務・社長、それぞれにその地位に相応しい躾がある。引退した後の老人のコミュニティにも礼儀作法がある。


躾があれば、躾る者と躾けられる者がいる。現代の混沌は、これが一つの原因ではないか。躾る者が極端に少ない。


躾を教える、とすれば教育でもある。教育する者が極端に少ないのか。小中学校の教諭をみると、彼らは学術のみを教えて、子ども達を躾けない。学術と礼儀作法はまったくの別物だ。だが教諭は膨大な仕事とPTAを怖れ、躾なくなった。躾に科学的根拠と絶対基準がないからだ。だから母親らに責められないために躾ない。子どもへの無関心こそが保身である。


企業も行政も似た様な状況に陥っている。部下に対して無関心を選び、不祥事が発生する。無関心で躾けることはしないだろう。ならば躾ないことは、その組織・社会にとってリスクである。不祥事が発生すれば補てんが必要となる。これが続けば、まるで不祥事と補てんの自転車操業だ。補てんのために企業があるみたいだ。



躾と民度

 韓国は新たなリーダの誕生で、慰安婦に関する日韓合意を反故にしようとしている。政権が変わったくらいで国際的な約束を破る。韓国人の民度は発展途上国並みに落ちた。およそ先進とは言い難い状況だ。あの国も躾をしなくなったのだろうか。これは対岸の火事ではない。


今の日本人はきちんと躾けられているだろうか。もし違うのであれば、日本人の民度は下がり、国際的な信用力も堕ちてしまう。安倍政権の各論に対しては反対し、総論的な内閣は支持という矛盾が起きている。これは卑怯である。内閣はどうすれば良いのだ。明らかに主権者の民度が堕ちている。内閣を支持するならば、その内閣を見届ける。反対なら、野党を国民が強くする。


老人が卑怯なのに、ゆとり世代に何が言えようか。


路上喫煙よりも道でぶつかって謝らない方が問題であり、スマホのながら歩きはもっての他だ。駅のホームでは他人の生命を奪う恐れのある行為だ。肉体が衰えたならば、自動車に乗ってはならない。健康が大事なら肥満を叩く。国民医療費が国家予算の半分にまでなっている。問題解決のためには、老人が働き税を多く収めなければならない。働き手や子どもの予算は老人に比べて遥かに少ないのだから、それ以上のことを彼らに求めない。働き手がいるから老人は毎月、年金が貰える。老人は子孫より自身の日々を選択している。


これでは日本人が自己中心的にならない方が可笑しい。今の日本を作ったのは、当時から有権者だった老人だ。故に責任も各老人だ。


そう、躾は国のレベルでもある。常に世界の上位の国であり続けている。だが、ゆとり世代を育てた親の影響で国の信用が堕ちかねない。大人を躾ける者が必要だ。現実的には六十代と七十代がまともになって、自身達の子をまともに躾けて欲しいものだ。同時に、ゆとり世代に対しても三十代は躾なければならない。さもなくば先輩としての存在価値はない。


記事:金剛正臣

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