批判は非難ではなく、叱るは怒るではない「若手の語彙力問題」

【社会・人生考察】 若手の語彙力の低下が著しい。原因は先輩である大人や親にある。正しい日本語を教えないが為に、正しい日本語を使う大人に対し誤った解釈を与えている。若手と先輩の大人は自身の語彙力を確認し、正しい意味を覚えなければならない。さもなくばコミュニケーションが成立しない。



例一;批判と非難

 記事『若者にとって「批判=喧嘩を売る」という意味!? 今井絵理子参議院議員「批判なき選挙、批判なき政治」にさまざまな意見/東京産業新聞社』では、自民・今井絵理子 参議のツイート「批判なき選挙、批判なき政治を目指して」という文言に非難のリプライが集まったと記した。批判の意味はジャッジ・評価、誤りや欠点の指摘、哲学の証明である。今井のツイートにこの意味を代入すると、「ジャッジ、欠点の指摘なき選挙、評価、誤りの指摘なき政治を目指して」となるので間違いである。


当該記事では学生のプレゼンについても触れ、大学講師のコメントに対し学生から「どうして批判するんですか!」と激怒される事があったという。これに意味を代入すると、「どうして評価、誤りの指摘を(私に)するんですか!」となり、幼稚である発言が証明できる。大学の講師が生徒のプレゼン等に評価・指摘をしなくなったら存在価値がない。こんな子に育てた親が悪い。


批判は非難とは異なる。非難の意味は過ち・欠点を責めて、咎める事だ。批判は前向きで、非難は後ろ向き。批判は善に対し行い、非難は悪に対し行う。正反対の意味である。



例二;叱ると怒る

 次の例を視よう。記事「怒る人 豊田真由子議員とマツコの"雲泥"/プレジデント社」では「怒られたい著名人」のランキング出している。当該記事の主旨を眺めるに、これは叱るの語義の方である。怒るの方ではない。日本アンガーマネジメント協会(代表理事:安藤俊介)がランキングしているが、残念ながら怒りを研究する前に怒りの意味を知った方が良い。社団法人としての信頼性を落とす。


怒りは憤りに同じ。怒っている事だ。怒るは自身に不愉快の事等が起こり、その事に対する自身の否定的な感情表現だ。ここでは、“自身に”“自身の”が重要となる。一方、叱るの前提は目上だ。だから目下に対して良くない点等を指摘し咎める事で、肯定的だ。怒るは自身の為の感情表現で、叱るはその人や周囲の為の指摘だ。怒るは自分、叱るは他人。


上から目線も同じ様なもので、目上の者の言動は上からでないと指揮命令系統に支障を来たす。目下の者が、目上の者の上から目線が嫌ならば、指揮命令系統のない組織で働くしかない。



根本的な原因と対策は

 以上の例により、導き出される原因は二つ。「互いの語義が合ってない」ないし「相手方がそもそも幼稚」。幼稚とは考え方等が未発達な思考・精神状態である事だ。


対策として前者の場合は、正しい語義を双方が知る必要がある。辞書を使おう。語義が間違っている者は、イメージで言葉の意味を捉えている場合が多い。なので辞書で互いの意思を明確にしよう。


後者の場合は、幼稚な者に対し育てる気があるか否か。若手だけでなく、大人でも幼稚な者はいる。幼稚的かどうかを確認する為には、論理と主張する背景を問う。幼稚な者は論理が組み立てられず、背景が自己的で社会的でない。育てる気があるのならば、根気良く年数をかけて教育を施していき、老練・老成までいかなくとも成長させてあげる。



まとめ

 先の今井参議に対し「学力・教養はかなりの底辺」と断ずる者がいたが、彼女は国政選挙で多くの国民が投票し当選した国民の代弁者だ。ならば国民の「学力・教養はかなりの底辺」となる。政治家に文句を言う前に、国民自身が学力・教養をまともな水準にするのが先ではないだろうか。


この国は法治国家・法の下の平等(国対民)であって、資本主義(民対民)だ。前者は平等でも後者は平等ではなく、上下の区別を是としている(会社法等)。これが日本の姿だ。決して民対民は平等でない。出捐多き者を法律は優位とする。豊かに生きていくには、資本主義下で働くしかない。ならば上下の中で頑張るしかない。


自己主張したいなら、選挙に立候補して支持を得て当選するか(国対民)、裁判で訴えて司法府にジャッチしてもらうか(国対民)、起業して大きな会社にして大株主に自身がなるか、この三つのみだ。それ以外の主張は大方、社会では通らない。正しい日本語を用い、自己実現しよう。これが真実となる。


撮影:岡本早百合

記事:金剛正臣

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