生きていく上で必ず獲得すべきモノ

【人生考察】 内閣府と警察庁が発表した平成二十六年の自殺者数は、二万五千人。年齢階級別だと六十代、四十代、五十代、七十代の順番だ。厚労省が推計した平成二十三年の精神疾患者数(うつ病を含む)は、三百二十万人。国づくり人づくり財団は、コラム「日本人の魂が崩壊している」で家族間の殺人事件が確実に増えていると警鐘を鳴らす。人間関係の醸成が現実世界から仮想世界へ移行し、コンピュータやロボットが躍進する中、人は以前よりも生きにくいと感じ始めている。打開策はあるか。


個人尊重主義には大きな弊害が伴う。それは、責任が全て個人になってしまう点だ。生きていく中での全ての善し悪しの責任が、全て個人に帰結する。これでは身も蓋もない。完璧である自負のない個人が、全ての物事をジャッヂ(意思決定)しなければならない。当然に上手くいく確率は減ってしまう。なぜならば、ジャッヂした者が未熟であるからだ。世の中の物事の全てに熟達・熟練・成熟している者などいない。本来、人は助け合いながら生きていくモノだ。しかし、現在は個人尊重主義。各個人が自身のメリットの最大化を図り、他者を顧みない風潮となった。対義である社会重視主義では、生きるそのものの辛さは減る。



<拠り所の獲得>

 いつの時代でも同じであるが、拠り所のある者は強い。各時代の辛さの比較は歴史的に不可能である。第二次大戦下の日本の若者と現代の若者では、どちらが辛いか?この答えは出ない。但し、拠り所を獲得するコトは可能だ。人の最初期の文明である世界四大文明の後に世界三大宗教が興った。その他にも多数の宗教が同時期に興った。その後、二度の世界大戦まで宗教の力は地球を覆っていた。西暦二〇〇〇年を超え、宗教の力が低下し始める。これは宗教の話しではない。拠り所の話しだ。市民が個人尊重主義を獲得し、権力者が重視する宗教を気にしなくなった(強制力がなくなった)。依って、拠り所が吹き飛んだ。


繰り返すが宗教の話しではない。人には拠り所が絶対的に必要なのだ。自分自身や友人、家族、恋人を拠り所にしてはならない。誰しもが同じ様に気持ちや考えは移り変わるモノだからだ。絶対的な権力は拠り所でもあった。それに反対する自由を掲げるコトも拠り所であった。現代には拠り所がスマホになった。電子機器を自身の人生の拠り所にし、虚無感にさいなまれている。何とかして、拠り所を見つけるコトが生きて上で重要だ。さもなくば、惑う。何が正しくて、何が自分らしくてが見えなくなる。分からなくなる。



<拠り所の探し方>

 宗教は正直、手っ取り早いだろう。形式も整っているし、コミュニティもある。それ以外では、仕事と趣味がある。信念をもった仕事には仲間が集まる。同じ趣味をもつ者同志は仲が良くなる。何かを研究するコトも良いだろう。記事『「非属」でいこう!独りぼっちでも変人でも大丈夫/長江貴士』では、三冊の本を通じ自身の個性が埋没しない価値観の有し方を指し示している。この記事は拠り所探しのヒントになる。


自分らしくあろうとしてはならない。自分らしいとは、自分では気がつかないモノ。拠り所は生きる土台だ。どんなに素晴らしい建物でも土台が安定してなければ傾く。自分らしさというモノは、土台をしっかり固めて、何かに命を懸けて(懸命という)、ようやく滲み出てくるモノだ。土台を築いても、手抜き工事では結局、傾くだろう。人生の土台である拠り所を獲得していれば、何度もたて直しができる。人生に失敗はつきものだ。無力感もみなが経験する。だから土台を先に固める。一生、安泰したいのであれば、一生、安定できる拠り所が必要になる。オススメは、生きているモノ・人の作ったモノ、以外だ。

(了)

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