夫婦の同姓・別姓を子ども目線からみる

【社会・人生考察】 SNSにて「夫婦別姓」につき、若者へ意見を求めた方が良いのでは、とのコメントが上がっている。若手を代弁する報道機関として、夫婦別姓にした場合の子ども目線を考察する。賛否を論ずるものではない。


先ず、夫婦別姓の権利を主張しているのは、大人である。大人の名称・呼称の自由だ。大方の賛成者の意見は、子ども目線が欠けている様にみえないか。


なので、議論において平等性を保つ為に、子ども目線を考察する。



子どもからみた場合、夫婦同姓であると大きなメリットがある。それは家族として同一性(アイデンティティ)だ。例えば、田中家であったなら、長男の太郎君は、“田中家の長男”として自覚していく。それは長女でも次男でも同じ事。“田中家の誰々”という点がポイント。


夫婦別姓であると、子どもにどんなメリットがあるのだろうか。別姓で何が起きるか。子どもは揺らぐ。父が田中、母が佐々木を日々、名乗っている。そうなると、子どもはどっちの姓で日々、名乗って良いのかが分からなくなるだろう。名前は大事だ。自分自身を現す基本的なもの。太郎君は、“田中太郎”と名乗ったり、“佐々木太郎”と二重で名乗る事になる。例え、名乗らなくとも、心の中には二人いる事になる。


同姓であると、“一家”という一つの塊の一部だと、子どもは認識できる。別姓であると、同姓よりも子どもの一体感が減るだろう。そもそも別姓なので、“一家”という概念を形成できない恐れもある。これは拙い。極論だが、家族を「ただ一緒に暮らす人間たち」とみなす可能性もある。家庭内で独立した個人として育ってしまう。例として、家庭内別居で困るのは、いつも子ども。



この様に、平成時代だけではないだろうが、子どもの目線が外されて大人の議論(価値観)で進められてきた。この過ちを繰り返してはいけない。子どもにとっての幸せは、どちらだろうか。今の子どもに意見を聴く事も大切だが、夫婦が同姓ないい別姓で育った子どもが幸せに生きていける大人になるかが最も大切。これは比較する必要があるだろう。


本人が子ども産む、産まないは、同性・別姓が法律の問題なので関係が無い。子どもを産む・育てる人を中心に考えるのが法理。法律は日本の未来の子どもの幸せに資するべき。「子どもファースト」が国の基本であり、子孫繁栄という生命体の基礎である。


国家繁栄において、子を産む選択をした国民は優先する。子を産まない選択をした国民は劣後する。産む・産まないの選択が「法の下の平等」。選択後は平等ではないし、理論上、選択後の平等は不可能。国家運営ができなくなるからだ。


夫婦同姓、夫婦別姓。私達は日本人。世界は関係が無い。これはこの国の文化の話しだから。世界で最も古い国家の日本人として、子ども目線でどちらを選んだ方が良いだろうか。決して、今の大人の利益(権利)だけで決めてはならない。考えるべきは、子どもの利益(権利)とその子が大人になった時の日本。

(了)

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