子どもへの科学的教育と子どもな大人たち

【社会考察】 経済メディア「JB press/日本ビジネスプレス(代取:菅原聡)」が平成二十七年八月二十六日付けで配信した『実験が明らかにした「子どもの正しいほめ方」とは 日本の教育には科学が足りない!』。同メディア編集長の鶴岡弘之の記事だ。当該記事には、子どもの褒め方と幼少期のポイントが記されている。FP姫としては、新社会人(概ね新入から三年間)の教育にも同じコトが云えるのではないかと仮説する。

努力を褒めるコト

幼少期は躾け重視


この二点が挙げられている。両者の根拠は、以下の引用より。

 | コロンビア大学のミューラー教授らの実験によると、<子どものもともとの能力(=頭のよさ)をほめると、子どもたちは意欲を失い、成績が低下する>のだという


 | 実験によって、幼児段階の質の高い就学前教育は、その後の学歴、年収、雇用などの面で大きなプラス効果をもたらし、効果が長期にわたって持続することが分かったという


後者の“質の高い就学前教育”の中には、誠実さ・忍耐強さ・社交性・好奇心の強さ等が含まれる。鶴岡は結びに、日本の教育が科学的根拠に基づいてない点に警鐘を鳴らす。科学に論理思考は欠かせない。論理思考なしの科学はあり得ないであろう。よって、文科省をはじめとする日本の教育の中枢に、先ず論理思考を習得した人間が必要である。国が率先して手本をみせるべきだ。だが現状で、それはなかなか適わない。論理思考を学んだ根拠を指し示すコトは特定の学部で履修、ないし習得する必要がある。下村博文 文科大臣は、教育学士を有するものの、論理思考については如何だろうか。


<大人も躾け>

 斯様な現状では、科学的根拠を重視した国等の教育は程遠いであろう。さすれば、自身から科学的根拠を重視すべきか。社会人に応用するなれば、能力(肩書)や成果を褒めるのではなく、努力や経過を褒める。仮説ではあるが、恐らく対象の社会人は意欲と成績が上がるであろう。根拠は、現状の日本の新卒者にアダルトチルドレン(AC)が多いと見做される点だ。重度・軽度も含む。ACは、承認欲求が強くなる。今般の若者のSNSを指し示せば、立証成功であろうか。ACには、機能不全家族が前提となる。目に見えない言葉の暴力や簡単な無視も現代では含まれる。分かり易くいえば、コミュニケーション力が家庭内で低下していれば、軽度のACには成り得る。因って、AC社会人には、有効であろう。


また、「躾け重視」も同じである。AC社会人には、業務のテクニカルな面を先に伝えるのではなく、企業倫理や社会人としての常識(モラル)を先に研修するコトで利益を上昇させるコトができるだろう。子どもっぽい大人は、精神的に子どもであるので、大人と見做してはならない。何故ならば、教育する側が期待から大幅に下がった結果にストレスや怒り等の感情を起こすからだ。「~すべきだ!」と思うコトに関し、やらない者がいた時に怒り等が発生し易い。子どもだと思っていれば、碌に怒るコトも少ないだろう。


<大人になろう>

 マズローの欲求段階説に因れば、第四次の「承認の欲求」となる。本来、この欲求は家庭内でも満たすコトができる。しかし昨今の親権者のこころや態度を視ているいる限りでは、新卒者らが充分に満たされた状態で入社しているコトが疑わしい。故に、教育する側は、教育を受ける側に対し「承認する」ことが重要になる。「承認する」為に、何が必要なのかを彼等に教えるべきであろう。彼等は、満足したコトが少ない為に、「承認される」術をあまり持ち合わせていない様にSNSより伺える。


尚、AC社会人の基準としては、以下の様に分かり易い点がいくつかある。

道や駅でぶつかっても無意識的に謝れない者
ぶつかりそうでも避けない者
交渉ができない(一方的な)者

上記は一例であるが、日本社会には精神的に子どもな成人が多いコトが分かるであろう。そう、極論をいえば、怪しいと思ったら子どもだと定義してみれば、卒なく業務をこなせるのではないであろうか。それは、教育する側が冷静で大人である必要がある。

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