ニュースにおける原稿(テキスト)の力

【コラム(Media Literacy)】 あらゆるニュース媒体には① 原稿(テキスト)がある。他のニュースを構成する要素、態様としては② 写真(スチル)・③ 映像(ムービー)・④ 音声(ガンマイク)・⑤ 照明・⑥ アナウンサーとリポーターがある。全ては現場の情報を伝える為の手段である。

ニュース(報道)の基礎となる原稿は、ニュースそのものの芯となる。② 写真(スチル)一枚でも多くの情報を伝えるコトができるが、②~⑥は副次的な要素だ。それぞれの取材員は専門性が高く各々で一つの職業を形成する。まとまると取材班(クルー)と呼ばれるチームを形成する。つまり、①は記者だ。



<媒体の志向性>

 ネットメディアの勃興により、一人で①と②をこなす現場が芸能等に増えた。政治・経済はそもそもの学術的能力が求められる為、高度な専門性を有し①と②が分かれる。社会は芸能の記者やスポーツ紙の記者の様に①と②を兼務したり、社会部を置き①と②でしっかり分けている媒体がある。これらは媒体(編集部)の志向性に因る。


原稿は、何を伝えたいか?(媒体の志向性)で構成が決まる。例えば、FP姫は企業の業務執行に係る意思決定機関「取締役会」を現場で重視する。他の媒体では大型のイベントがあっても目に見える商材をフォーカスする。FP姫等は主催者の考え方や狙い、未来への戦略・戦術を切り口に原稿を作り上げていく。よって、その媒体が「何を主に伝えたい媒体なのか」で、大方の原稿の構成は決まるだろう。



<取材は旅の様なもの>

 むやみやたらに原稿を書いているのではなく、志向性に則って原稿は作成される。一つの現場(イベント)には媒体の数だけ切り口が増えるので、媒体が異なるにも関わらず同じ様な原稿であれば媒体として同じ様な志向性である、と云えよう。但し、既出の記事「どのニュース メディアを選ぶかで変わる人生」で触れた様に“媒体個性”がメディア選別の理由となり、今後の媒体としての栄光盛衰の要となる。それは編集部と記者にとって素晴らしい時代が訪れるコトを意味する。およそ原稿に個性が重んじられる時代になる。現場での着眼点が勝負どころだ。


原稿は自らリサーチをし、取材現場に訪れ、一つにまとめて ”記事”となる。まるで旅の日記の様な例えをしよう。どの国・エリアに行きたいか自分なりに調べ、その場所に行って色々周ったり話しを聞いて、事実と感想を日記に綴っていく。一番重要な部分は感想かもしれない。ニュースという体裁上、感想部分は大抵最下部に配置され行数も少ない。然しながらユーザはこの感想の部分を大切にしている。「結局、どうであったのか?」と。ユーザの代わりに調べ、現場に赴くのだ。だから癒着はいけない。真実が歪む。



<世のタメ、人のタメの記者>

 とある記者が書いた記事でユーザの人生の選択肢は増えたり減ったりする。そのユーザがとある媒体やとある記者のファンであれば尚更だ。どこかのニュース媒体が報じたから、ユーザに何がしかのアクションが起きる(何もしない、を含めて)。これが原稿(テキスト)の力だろう。媒体力があればある程、とある記者の文字は重要性を増す。


現代人はスマホのお陰でニュースに触れる機会が、昭和・平成初期より遥かに増えた。これは情報量の獲得数で云えば、一体如何程の差があるのであろう。日々、皆がニュースに触れている。だから記者の仕事は非常に重要だ。人の考え方や人生に寄与する。世のタメ、人のタメの職業なのだ。そして記事の善し悪しは、記者の教養と道徳心に懸かる。


ことわざ『ペンは剣よりも強し/英政治家・小説家のブルワー・リットン』


次回は② 写真(スチル)の力について。写真共有サイトの謳歌は、ニュース(報道)の写真の意義を変えた。

(了)

0コメント

  • 1000 / 1000