齋藤孝の新書『文脈力こそが知性である』はビジネスマン一読

【書籍考察】 教育学者で作家、「明治大」文学部の教授である齋藤孝(庚子)は、「東大」法学部卒で「東大」大学院の教育学研究科学校の修士、博士課程を満期退学。平成二十九年二月十日に新書『文脈力こそが知性である/角川新書』の初版が発行された。


齋藤は真のエリートと云えよう。同書は非常に読みやすい文体で分かり易い。アマゾンでは“齋藤孝”で検索すると六百件近くの書籍が表示される。およそ一年前に「語彙力こそが教養である/角川新書」を執筆。今回の『文脈力こそが知性である』は、その続編とも呼べるものだ。


(同書引用)語彙は「文脈力」があってこそ、自分自身の「知性」として表出するのです。
自分の中に蓄積された語彙や知識を、「文脈に則してすぐに的確に使える」ようにするにはどうしたらいいか―。




<この書で何が得られるのか>

 齋藤は語彙と知識をパーツとして捉え、文脈力をパーツを掴まえる力、繋ぐ力としている。同書は七章で構成される。知性とは何か、一言に知性は滲み出る、場・人・時代の文脈、文脈力と会話力、日々の知性磨き、古典を活かす、自分の文脈が記されている。


コミュニケーション能力が叫ばれて久しい。その人の言葉だけ追っても、真意は掴めない。逆に言葉だけ正確でも、真意は伝わらない。受信サイドであれ、発信サイドであれ、自他の容量を分かる事が大切だろう。小間切れが得意なのか、多量情報が得意なのか。現代はティーザー広告的で小間切れな情報の流通が多い。一文は短い方が伝わり易い。一文が長文でも問題ない者は少ない。


しかし幾ら短文を積み重ねても、浅はかになるのも事実だ。知性には階層がある。その現階層を自他で把握し、コミュニケートする。そして互いに階層を上げていくのが望ましい。



自身の欲求≠自己実現から=へ

 同書の最後の方では、「求められることに応える」という文脈を説明している。正に、自身の価値は他人が決めるのであって、自身の求める事とは異なる点を指摘している。自己実現は他人の願望の実現ともいえよう。


「自分がやりたいこと」ではなく、「人から求められていることにどう応えるか」が大事だという意識をもった方が道は開けていきます。


そして、最も重要な効果であるかもしれない「流れ」についても記す。例えるならば語彙は種であり、文脈力は茎や葉、流れは花だろうか。


文脈が自分の方に流れてくる、仕事の流れが来るというようになるのは、自分で文脈をつくるというよりは、流れを引き込みやすくするということ



ビジネスの戦場は交渉である。交渉にも流れがある。その流れを自身ではなく、引き込む。孫子的な「戦わずして勝つ」ならば、交渉に入る前に求めるべき戦果の流れを引き込む。老師的な「自ずから然り」で、勝つ事を自然としていく。その要素が「語彙・知識」「文脈力」「流れ」ではないだろうか。

ビジネスマンは一読されたい。


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