日本人のルーツ、天皇が天皇になる前の古代『西日本大戦(縄文~弥生時代)』

【日本考察】 令和三年九月十八日に金沢大等の国際研究チームが日本人ルーツの新説を打ち出した事が報じられた。古墳人の存在だ。現代日本人を構成する縄文人、弥生人に加わる第三のDNA。今回は古墳時代「ヤマト王権」が誕生する直前の日本の話。古墳人誕生の話。科学が日本神話に追い付いた一例。


縄文時代末期から弥生時代。古代日本の西日本で天皇家の大いなる闘争があった。それらは「日本書紀」「古事記」の神話に認められた。天皇家を核とする大いなる闘争を古代『西日本大戦』と称する事にする。


男性にだけある「Y染色体」。このY染色体は、交叉や遺伝子の乗り換えが基本的に起こらない。DNAは遺伝情報の継承・発現を担う。父親由来のDNAは子孫が生きている限り、残る。母親由来のDNAは前後七代程度で消滅する。今、生きている男子は縄文時代からの知を有している可能性がある。


これが神武天皇の即位以来、二千六百八十一年も続く世界最古の王朝、神武王朝(神倭朝)日本の世界的な重大さである。


神武天皇の即位は「弥生時代」。その前の日本には「縄文時代」があった。紀元前一万三千年前頃から一万年以上も続いた時代。世紀で言うなれば、百世紀間も縄文時代があった。二十世紀で五回転分と甚大な期間。この時代は縄文土器が有名だ。芸術性が高く、西欧では評価が高い。芸術は政治経済が安定しなければ発達しないもの。縄文時代の日本は政治経済がある程度に安定していた、と言える。上図は二万年前の日本。


ここ二、三十年の研究で百世紀間の縄文時代に対する新たな発見が為されている。



<日高見国>

 神武天皇の祖先も縄文時代にいた。それが「日本書紀」「古事記」にある日本神話『高天原』、と日本国史学会・田中英道(壬午)代表理事は言う。日本書紀と古事記を合わせて「記紀」。


百世紀も続いた温和な縄文時代から、何故に神武天皇が即位する弥生時代や日本初の統一政権「ヤマト政権」の「古墳時代」に至ったのか。原因は、縄文時代の終わりの寒冷化。当時の日本は大きく東日本「悠紀(ゆき)地方」と西日本「主基(しゅき)地方」の領域に分かれていたと推察。


神武天皇、現天皇の直系は東日本『日高見国(ひたかみノくに)』を創っていたと田中代表は言う。その発祥地は茨城「鹿島神宮」と千葉「香取神宮」の古代二神宮を擁する霞ヶ浦。前者は初代・神武天皇元年、後者は同十八年に創建された。三つ目の神宮が三重「伊勢神宮」。第十一代・垂仁天皇二十六年に創建。


一方の西日本は百世紀の間、群雄割拠であったと思われる。縄文時代を通じて統一的な国は無く、便宜的に「大倭」とする。西日本の中心地は福岡。太宰府周辺を争奪する戦いが数世紀に亘って繰り広げられていた模様。【倭】と言うのは、主に漢民族から見た「委の人」の意味とされる。“イ”という音は、東を意味する。中国大陸から見て東の人だ。


西は“ツ”。南は“サ”。北は“ネ”。真ん中を“ヲ”としていた。


因みに、【ヤマト】というのは「山の人」と解釈する文献もある。日本列島は中国大陸から見て狭い範囲に山が多い。下って古墳時代・七世紀頃、福岡には「伊都国」が山間にあり、「山都」と称された説もある。そして縄文終期から弥生時代に掛け、国名【大倭:ヤマト】争奪戦である古代『西日本大戦』が巻き起こる。この大戦に未だに謎とされる「邪馬台国(女王:卑弥呼)」等も含まれる。



【姫】という姓

 戻ると、縄文終期の寒冷化で狩猟採集が厳しくなり、人口が激減。東日本「日高見国」の一部は、温かい九州南部を舟で目指したものと考えられている。当時の舟は各資料館でサイズを確認できるが、想像よりも大きいと感じるだろう。


この頃も日本神話で描いている。アマテラスの孫に当たる「ニニギノ尊(ミコト)」による宮崎・日向「高千穂」への『天孫降臨』がそれだ(ニニギ尊は日向三代の初代)。この頃、大倭を制していたのが、島根・出雲『葦原中つ国(あしはらノなかツくに)』。“ツ”は「~の」の意味。黄泉の国と日高見国の間にあったとされる。大倭のトップが国譲りの「大国主神(おおくにぬしノかみ)」。正に西の大きな国の主。天孫降臨は葦原中つ国の平定後。


他方、中国大陸では「春秋時代」前後。天孫降臨の前、大陸で権力闘争に敗けた周王朝(西周)の末裔と思われる集団が九州に上陸し、「天つ国(天之国、天国)」を創ったという。周は後の「呉」の系統だ。共に国姓を【】とする。女の臣。天照(アマテラス)がトップの女王の国だからか。日本の漢字の音読みに漢音・呉音があるのは、呉の系統の渡来の為である。グローバルな漢民族系の発音(今でいう英語)と九州等に呉音の集団がいたからだろう。


それ以外にも中国大陸や東南アジア等からも多民族が九州へ流入していた。スサノオで有名な龍蛇族(オロチ)が典型的。「巌ノ国(いつノくに)」。後の「葦原」と歴史研究家・高田康利は推察する。すると、ニニギ尊が「葦原中つ国」の主となった「中つ国」とは何なのか。


それは、地の神「黄帝」の一門が九州・福岡で創った国が「那珂つ国(ナカつクニ)」。別名「黄泉の国」か。福岡・博多には「那珂川」が今もある。古代中国の神話伝説時代には八人の帝「三皇五帝」がおり、内、一人が黄帝と推察する古い文献がある。三皇は神で、天皇・地皇・泰皇を言う。


詰まり、「葦原中つ国」は連合国(軍)となる。漢民族も入れると「葦原中つ国」。ニニギ尊の息子が漢民族系と思われる海の神の「豊玉姫」と結ばれ、神武天皇の祖母となる。



<高天原連合軍説>

 ともすれば、「高天原」も連合国(軍)となる筈だ。大倭の巨大な「豊葦原中つ国」に一ヶ国で勝負をするのは、現実的ではない。高天原は地名ではなく、葦原中つ国の様に連合軍の可能性がある。「日高見国」と「天つ国」。共通項は何か。共に国姓が【姫】である点だ。高天原軍が勝った後の古墳時代・三世紀、「大和朝廷」が出来た際に【姫氏ノ国(東海姫氏国、倭漢通用の国称)】と公的文献に記された。


外交的には後に【大倭日本国】となる。東の日立(常陸)、西の日向(宮崎)の中心地・紀伊半島に政権を置いたので、日本。または日本という国を高天原軍が大倭平定の様に、吸収した可能性もある。“イ”は東の意。“キ”は“ミ”の対義語であり、魂、そして【姫】の意。元気の“氣”もそれだ。日本は“キ”の国。


これは天皇の直系が縄文時代に中国に赴き、「三皇五帝」の一人になった可能性でもある。何故ならば連合軍は通常、日米同盟の様に主体が前。客体が後ろとなる。天つ国が上位であれば、「天高原」となるべきであろう。よって上位は日高見国となる。それは天つ国のルーツだからではないか。



日本・日本人という存在

 そして数世紀後の未来に連合政権「ヤマト王権」が成り、「大和朝廷」が核となる。さて最終局面だが、大和の【】とは何か。到底、ヤマトとは読めない。高天原軍は天孫降臨後、幾度か豊葦原中つ国軍の別継と考えられる他の王朝(邪馬台国か)に敗け、大倭を獲られる。再起を図る為に九州南部で「和ノ国」を創り、一世紀後に神武天皇が記紀にある通り、紀伊地方の他の王朝へ仕掛ける(神武東征、神武天皇は日向四代目)。アマテラスから数えて六代目、天孫降臨・ニニギ尊から四代目の神武東征での西日本「大倭」の中央を再び獲った。


和国は後発なので、大和日本国とは出来なかった。大倭日本国と定めた。大和をヤマトと呼ばせる為には、奈良時代・八世紀「養老律令」まで待たなければならない。よって、大倭も大和も日本も【ヤマト】と呼ぶに至る。総じて日本人はヤマト民族。



 如何だっただろうか。神武天皇以降は日本史で知っているだろうが、神武天皇以前の日本、特に縄文末期から弥生時代は同時期の中国「春秋時代」の様に、数世紀もの間、古代『西日本大戦』が起こっていたものと考えられる。プレイヤ数も多く、あくまでも今回は主だった国しか書かなかった。


その古代『西日本大戦』の果てに、二千六百年以上も続く安定した単一国家が出来上がり、今に至っている。その国は第二次大戦で地球規模の植民地時代を終わらせ、平和の世を導いた。全ては和王「神武天皇」が始まりである。それらを綴ったのが記紀とすれば、日本人が最初に学ぶべき歴史書に他ならない。


日本は世界に先んじて憲法を創った。飛鳥時代『十七条の憲法』。その第一条に「和を以て尊しと為す」がある。この“和”の意味合いは通例とは異なるやも知れない。そして現行『日本国憲法』も世界最古を更新中である。日本は和を重んじる国。


重要本稿は推察の域を出ない。今後の発掘調査等で少しずつ判明していくものであろう。


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