女性活躍と男女平等は女性にとって大きなストレス

【社会論説】 女性活躍を国や都は唱えるが、肝心の女性はストレスを感じているのではないだろうか。電通総研などの様々な調査で女性自身が管理職を望んでない、起業をさして望んでない事は証明されている。民主主義的には、圧倒的多数の女性達の意思が世論で最重視すべきである。何を望むかは個人の自由であろう。女性活躍の推進は、それを望む女性だけに限定すればよく、望まない女性に対して押し付け(心理的強制)をしてはならない。


女性活躍が進んでいる欧米は、基本的にゲルマンやアングロサクソンだ。伝統的に女性の自立がDNAに刷り込まれている。一方の日本は大和。伝統的に男性のサポートを行ってきた事は日本史を眺めれば分かる。女性を決定付ける対のX染色体。このX染色体のDNAの遺伝情報は最大で七代といわれている。臨機応変能力が高い女性であるが、安定・安全性を性別的に重視する女性には精神的なものを簡単に変える事ができないだろう。




<男女平等で本当に辛くないか>

 それは男女平等も同じであろう。今迄の男性の仕事量・質を女性に求める平等は酷ではないだろうか。昭和末期にできた『男女雇用機会均等法』から三十年超が経過した。女性は活き活きと生きているだろうか。大手町・丸の内をみると、そうは思えず、現実逃避をしている女性達が目に入ってくる。本当は男性が引っ張る社会を望んでいるのではないだろうか。共働きを多数が望んでるとは、言い難いだろう。当然に、女性が引っ張りたい人もいるのも事実だ。


重要なのは選択肢。日本・大和撫子の多数が男性リード型を望んでいるならば、それを選択できる環境に社会が戻す。逆に女性リードをしたい人は、それを選択できる環境を社会が残しておく。真ん中の男女平等も選択肢を残すべきだろう。この三つの選択肢を、社会は女性に与えるべきではないだろうか。今の風潮(世論)は、望まなくとも女性が頑張らなければならない社会に見える。「男性の後ろが良い。」というならば、それで良いではないか。そこが彼女がいたい場所なのだから。この実現の為には頼れる男性が増える事。


行政や企業は、圧倒的多数の女性の個人の自由を尊重しようではないか。


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