古代『環日本海経済圏』の復活が令和「高度経済成長」の片翼

【経済・日本考察】 戦後「太平洋ベルト」に象徴される様に、米国を最大の貿易相手国として日本は太平洋側(東側)の経済を強化してきた。しかし日本は、その昔、日本海側(西側)が経済の主体であった。令和時代の「高度経済成長」は、日本海側の経済圏『環日本海(西の翼)』復活と太平洋側の経済圏『環太平洋(東の翼)』再構築により、三度世界へ羽ばたく蓋然性が高まる。


今から三千年前頃の縄文時代・晩期から一千八百年前頃の弥生時代に掛けて『西日本大戦(≒倭国大乱)』が起こった。記紀によれば、西軍の「豊葦原中国(トヨアシハラのナカツクニ、倭国)」と東軍の「高天原(タマガハラ、日高見国・天つ国・和国)」の戦いの後に東軍が勝ち、大王・古墳時代の「大和朝廷」へと移行。現・天皇家へ繋がる。


古代の西軍である倭国は、当時の日本の経済圏である『環日本海経済圏』を形成していた。古代文学者・三浦佑之(丙戌)の書籍『「海の民」の日本神話/新潮社』では、大和朝廷の時期の環日本海を分析している。経済圏は忽然と出来ない。一つひとつの商業活動が積り積もって経済圏となる。その経済圏は古代に出来上がったと推察できる。



<弥生人・越人が造った経済圏>

 原因は、縄文時代・後期の寒冷化に伴った南方から日本への移民勢(海神)である。現代のDNA解析によれば、南中国「長江」周辺の民となる。高い航海技術を有す。故に海の民=海神。俗に、アマテラスと対峙するスサノオ(龍蛇族)と見做される。上図の通り、長江系は「弥生人」と「(インドシナ半島系)越人」に分けられる。現代の日本人にも両DNAは存在する。弥生人のDNAは、北中国「漢人」よりも濃そうだ。


日本に渡ってきた弥生人は、貿易の立地性より福岡周辺を拠点とした。日本最初の都があった場所ともされる。少数派であった越人は、圧倒的多数の弥生人や漢人を避け、日本海を北上し、現在の新潟周辺まで移動したとされる。交易に使う海流の関係上、新潟で停止した。稲作文化は東北まで及んだ。古事記では北陸を「高志(コシ、越)の道」と記す。現在でも上越、越前等と“越”は残っている。


三浦は本経済圏の主要都市も列挙。筑紫(福岡)・出雲(島根)・但馬(兵庫)・若狭越前(福井)・越中(富山)・能登(石川)。他にも厳島(広島)や諏訪(長野)等も本経済圏の範囲に挙げている。神社の鳥居が反っていれば、スサノオ系と見做せる。アマテラス系の鳥居は反らずに水平。



シルクロードの終着地・日本

 以上は日本側であるが、貿易には相手が必要だ。その主要な相手国は朝鮮半島の北東・満州エリアにあった「高句麗」と「渤海(七世紀末・飛鳥時代以降)」。この大型貿易が平城京・平安京の遷都由来となる。現在の露ウラジオストク周辺に相手国の港及び首都(渤海「東京龍原府」)があった。


何故に、今では考え難いそんな場所に、当時の経済圏の最大貿易拠点があったのか。それは「シルクロード(前二~十八世紀)」である。最初期のシルクロードは砂漠化しておらず、川があったという。その川伝いにアラビア半島から日本海まで交易路が繋がっていたという。現在の湖が残っている辺りを数珠繋ぎすると、当時のユーラシア横断の川をイメージできる。


環日本海経済圏の頃の中国は、大秦から大唐前後(前二世紀~十世紀)。北中国は政権が易姓革命により不安定なので、政権が安定的な高句麗・渤海が経済港として発展したのであろう。詰まり、西日本大戦の東軍は本経済圏を欲した事になる。そういった歴史的経緯を記紀に認めた。


その後、平安時代を境に東国武士が力を付け、鎌倉幕府から江戸幕府に至り、太平洋側の経済が発達する事になる。




<国交省が目指すもの>

 現代では、国交省を軸に古代『環日本海経済圏』を復活させる動きがある。上図は同省の資料。北陸を「日本海ゲートウェイ」として、ユーラシア・北米・欧州との世界貿易を強化させる試みだ。特に環日本海では、ロシア(統領:ウラジーミル・プーチン)が「東方経済フォーラム」にて極東ロシアへの投資を大いに期待。安倍内閣時にカムチャッカ半島や北方領土、ウラジオストク等の経済計画が練られた。


北朝鮮も世界が今後、最大の投資効果を出す国として着眼され続けている。同様に中国も一党独裁が崩壊し、環日本海側(満州エリア、瀋陽軍区)及び黄海・東シナ海側、特に東シナ海側(南中国エリア、上海閥、江沢民系)が民主化すると、経済が爆発的に発展する。DNA的にも南中国は相性が良さそうだ。そしてそれは恐らく、平成三年のソ連の様にある日、突然に中共は崩壊する。それが社会主義・共産主義大国の歴史的宿命である。


令和三年に同省は「日本海北前船構想 二〇三〇/北陸港湾ビジョン」を策定。今後十年で日本国として北陸を強化していく。


新潟は「都市圏ビジョン」を構築済み。将来の都市像は「田園型政令都市・新潟」。岸田内閣の「デジタル田園都市国家構想」と相性が良さそうだ。




東の世界経済の中心

 日本は環日本海と黄海・東シナ海にて、新たに巨大な市場を獲得できるチャンスが到来する。森内閣以降、「日本海地域ビジョン」の策定は止まっているので、再始動の期待が懸る。北陸だけでなく、福岡も発展候補だ。中国・瀋陽と北朝鮮が半島統一等で民主化すると、甚大な経済効果により「日韓トンネル」の実現性を帯びる。


補足であるが、国連には「鉄のシルクロード」構想がある。これはアジア横断鉄道で、東南アジアも含まれる。デジタルではなく、アナログで繋ぐ箇所がアジアには散在しており、日韓トンネルも当然に貢献できる。


最後に肝心の本経済圏の人口だ。上図は六年前の推定値であるが、「多摩大」経営情報学部・金美徳(壬寅)教授によれば、本経済圏の人口は二.二億人。中露を含む「新極東経済圏」は一.二億人。そして黄海・東シナ海の「環渤海経済圏」は四億人。内需が細っていく日本にとっては、重要な三経済圏であり、核は当然に環日本経済圏となる。


上図は更に具体的なイメージ図で、富山を中心とした本経済圏。貿易の波及が見て取れる。


更に同省は、本経済圏内での「環日本海クルーズ」も考えている。釜山と上海は現時点でもイメージの範囲内だろうが、露ウラジオストクと同ホルムスクは、クルーズとしてイメージがし難いのではないだろうか。然しながら、歴史的にウラジオストク周辺で元々日本は交易をしていた。明治の日露戦争前も米国よりも親交が深かった国がロシアである。先のDNAなら「オホーツク人」。


環太平洋のTPPやRCEP以外にも新たな中国、新たな朝鮮の誕生を念頭に入れ、環日本海ビジネスを準備する段階に入ってきているだろう。


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