社会派の女子高生映画『飢えたライオン』は映像・報道がもつ暴力性|TIFF2017

【芸能報道】 平成二十九年十月二十七日に東京・六本木にて、映画『飢えたライオン』が世界初公開。QAと舞台挨拶がTIFF二〇一七内で行われた。本作のテーマは『社会が少女の「虚像」を作り出す』。映像や情報が有す「加虐性」を描き、それらを消費する人々の中にある邪悪な“欲望”をあぶり出すもの。来年に公開予定。社会派な作品である。


上映後、緒方貴臣(辛酉、写真上)監督のQAから始まった。監督としては、自身の作品について話すのを善しとしていない。何故ならば、監督自ら話す事によって想像力を奪ってしまうからだ。「今の世の中に足りないのは想像力。」と語気を強め、他人の事を考えれないが故に不寛容な社会となり、心が窮屈になってしまう。「自分の頭で考えて欲しい。」とうつむきながらも切に願っていた。



<アンリ・ルソーとの共鳴>

 前作は母子のネグレクトを題材にした。実在の事件を基にしている。本作も同じだ。ただ基となった事件は三つ。一つは彼女は死んだのだが、写真を出して美化するTVと俗として扱うネットのリベンジ ポルノの事件。二つは容疑者がモザイクなのに死んだ少年の顔は出回った事件。三つは二人の子どもが失踪し、防犯カメラの映像が放映された事件。監督は、これらを「映像と情報(報道)がもつ暴力性。」として制作に至った。


「音楽は強い力を持っている。」と音楽も使用していない。過去の三作はキャストが五から六名で且つ、台詞が少なめであったが、本作は台詞があるキャストは六十を数える。撮影前に個別で監督の本作に込める想いを伝え、主演の松林うらら(乙亥)等の主要キャスト四名には、当該三事件を調べない様に禁止していた。


標題は仏画家のアンリ・ルソー(甲辰)の絵画に同じ。ライオンの群れの習性は人に近しとし、当該絵画(画像上)は、ジャングルの中でライオンがカモシカを捕食する場面。奥にはお零れを狙う豹や見ているだけの梟が見える。この描写を監督は「日本社会と近い。」と問題提起した。併せて、ルソーは独学で絵画を学んだ。その為、当時の基礎を踏まえていないとして、生前には批判が多かったが、没後に評価が上がった。監督も映画制作に関して、師事を受けた訳でも学校に行ってた訳でもない。


 舞台挨拶では主要キャスト四名、先生役の俳優と撮影監督が登壇。主演のうららは二十四才。六年前の高校時代を思い出しながら挑んだが、初回のリハは「ぐだぐだで大変でした。」と振り返ったが、リハを重ねる事により昇華させた模様。日高七海(写真上)は監督に盛上げ役を頼まれた。トイレのシーンでは「監督が居ない所でスマートフォンで撮ったりとか。」と自身達でリハを重ね修正していった点や制服を着て四名で原宿等を徘徊していた点を伝えた。


初めて観賞した加藤才紀子(癸酉)は「レイプされているとことか、上手に撮っているな。暗転する度に最終的に君は何を信じますか。」と本作の特徴を述べた。冷静な役を演じた菅井知美(丁丑)は感情を出さない様に撮影に挑んだ。「おちゃらけた性格。むずむずしてて出したいなあと思ってて。」と役作りに苦労した。


画像引用:Google Art&Culture

撮影記事:金剛正臣

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