新パワハラ基準策定、もう「ゆとり世代」は部下を指導しない

【ビジネス考察】 厚労省(大臣:加藤勝信)は平成三十年三月十六日にパワハラの新基準案を策定した。ポイントは三点。「優越的な関係」「業務の適正範囲外」「身体的・精神的な苦痛」だ。この新基準により企業及び司法は一つひとつのケースを取扱う事になる。


一方では同日に記事「部下を叱りもホメもせず “ネグレクト上司”が増えたワケ/日刊ゲンダイ」が配信された。初期ゆとり世代が課長等の上司になり、中期ゆとり世代の部下に対して無視(ネグレクト)を行っている、というもの。部下に対しての接触をできるだけ避けて、自身のみで業務遂行し、目標を達成させる。初期ゆとりのエリートだ。


上司となった初期ゆとりはパワハラ・セクハラに敏感だ。ゆとり世代の特徴である「リスクの徹底回避」が人材育成に影を落としている。各取締役会は留意されたい。時代は既に人材育成が当人達にとってリスクとなっている。組織にとって雁字搦めの状況だ。



<ゆとり世代の思考>

 何を考えているか。パワハラは当人にとってリスクでしかない。新たに策定された基準をみてみよう。一つ「優越的な関係」。上司である以上、優越的である。この要件で初期ゆとりだけでなく、多くのゆとり世代は指導をしない事を選択する。理由は上司の存在そのものが優越的だからだ。新基準の要件に当てはまってしまう。何をするかは問題ではない。「リスクの徹底回避」の為に上司から部下に何かする事はしない。当人の上司の指示のみ従い、部下へ伝達する。全く指導しなければ、当人は完全なリスク回避ができる。


当人の上司から注意される場合は問題ない。当人が加害者ではなく、被害者になるからだ。証拠さえ押さえれば、後から幾らでも請求はできる。



指導するメリットが無い

 二つは「業務の適正範囲外」。日本は欧米諸国と異なり、契約書に当人の業務を明確に明瞭に記さない。よって、ゆとり世代は適正範囲等というグレーゾーンを信じない。完全なリスク回避の為に、明確・明瞭な指導内容(マニュアル)がなければ、部下へは指導はしない。臨機応変は受付けない。それは「業務の適正範囲外」の可能性があるので、パワハラのリスクが増すだけである。


三つは「身体的・精神的な苦痛」。ゆとり世代は暴力を善しとしない。身体的が問題ではなく、精神的が問題だ。精神的な苦痛は個々人で全く異なる事をゆとり世代は知っている。そして、ゆとり世代は精神的苦痛があった際に表情等の表に出し合わない事を知っている。メッセージング アプリでも本音は簡単に打たない。だから部下が何を精神的苦痛とするか、上司の当人の何が精神的苦痛を部下に与えるのか、明確・明瞭にならない限り、指導はしない。そして明確・明瞭になんてならない事も知っている。そんな不明な基準は徹底回避する。


以上、新基準のポイント三点より、絶対的に部下への指導はリスクでしかない。逆に真剣に指導を行うメリットが無い。そんな愚かな判断をゆとり世代はしない。自身の人生、安定収入を賭ける程の部下が存在しない事も知っている。



当人が指導したくなるプレゼンを

 これでは組織の人材育成は息詰まる。とっくに芽はある。静かなゆとり世代だから露見してないだけだ。取締役会は当該問題を危機として捉えなければならない。打開策はあるか。ある。当人に人材育成で確実な利益を約束する事だ。部下への指導はパワハラ概念のまん延により、人生を賭ける事となった。その人生を保証する、ないし完全に擁護して貰える物証があった際に、当人は指導する事を考えるだろう。


彼らは決して悪くない。経営学的にみれば環境適応しているだけだ。その様な社会にした先輩方が悪い。確実性、無難とリスク回避を謳ったのは若手ではなく、上の世代だ。人材育成に力を入れたくば、取締役会は全責任を負う覚悟と保証を明確・明瞭にする必要がある。部下への責任押し付けは、もっての他である。その様な組織で誰も挑戦しなくなるのは当然だ。


上が責任を投げる組織に勇敢な人材はいない。

そして人材育成をおもねるなら明確・明瞭なプレゼンをしなければならない。


記事:金剛正臣

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