「できてない」「できてる」を多用するビジネスマンは回避

【ビジネス コラム】 言語には上下がある。プログラミングに携わる者は分かるが、「高水準言語」と「低水準言語」がある。言語学では手話を除く全ての言語は音声に基づく、とする。口語が思考の土台である。言語がなくば人は考える事ができない。


その使用する言語が低水準ならば、思考や推論は高水準とは成り得ない。例えば法学は数学的な代入と論理矛盾の払拭を根底としながら、社会正義を実現していく。使用する言語は高水準でなくば、人生百年時代、未来に低水準な思考に陥る。


口頭で使用する言語にはビジネス的に、人生的にリスクが付きまとう。だから科学的根拠が乏しい状態であるが、「馬鹿はうつる」とされる。「肥満がうつる」点は米国を筆頭に科学的に立証されている。


最近、全うな媒体でも散見される「見える化」。正しくは「可視化」である。いわんとする事は単純だ。目で認識できる様にする、ないしなる事だ。それを熟語で何と言うのか、何と表現するのかを頭で考える。その熟語を知っているか、知らないか。知らないなら調べる。そして「可視化」と伝える。「見える化」は、この作業を怠っている。知的に低水準だ。ときの都知事でさえも使用する。都民を代表する者として恥ずかしい。



<言葉は自分自身を映し出す鏡>

 「できている」「できていない」。これも思考の簡略化だ。「料理が“できて”いる」。正しくは何と表現するか。料理は作るもの。ならば「料理は作り終えている」となる。「作り上がった」とも表現できるだろう。非定型をみよう。「料理が“できて”いない」。こちらは、どうか。「料理を作り終えていない」と助詞が変わる。但し、この場合は料理への着手が条件だ。何も着手していない場合には「料理を作り始めていない」となる。これで未着手という正確な情報を伝える事が可能となる。


さあ、「“できて”いない」は着手したのか、着手に至ってないのか。受けてには分からない。着手したと相手が判断したら、何がしか動くかもしれない。未着手ならば、動かないかもしれない。クリアに判明(明瞭に)しないと相手は動けないかもしれない。ビジネスにおいて「できている」「できていない」は危険だ。曖昧過ぎる。


その「できている」は上司基準の「仕上がった」なのか、本人基準の「仕上がったと思う」なのか。これも後者が多くなってきた。これでは仕事はスムースに進捗しない。ビジネス チームの基準が曖昧な事は致命的だ。修正やフォローに時間を擁してしまう。だからチームは言語水準を統一する必要がある。


最悪なパターンはビジネス口語がスラング化する事。「超ヤベー」「無理じゃね」「りょ」等がフロアや会議室、メッセージングアプリに乱発してきたらならば、末期症状だ。その時は一程度に稼げるかもしれないが、ビジネス体としての持続可能性と相反する。短絡的だ。


エリートは低水準言語を使用するビジネスマンとは距離を置かねばならない。排除するのではなく、入り込まない。精神的に大きな壁を用意しておく。合わせなくとも良いだろう。恐らく、自身が判断した低水準言語のビジネスマンは十年後以降に別コミュニティとして生息している。リスクを回避できる。


「できている」は「出来上がっている」、「できていない」は「未だ出来上がっていない」の意。そこから適した言葉を選べるかどうかは語彙力と思考の賜物であろう。何を対象としているのか、現在の事象はどの段階なのか。これらを考えずに反射的に口にし始めると、自身が何を考えているのかが分からなくなり、そもそも自身が何をしようとしているのかも分からなくなってくる。


言葉は自身を形成するアイデンティティ(主体性)だ。自身が如何様な人間でありたいかは、言葉選びから始まるもの。


記事:羽田野正法

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