不道徳に打ち勝つ、大人こそ道徳教育の必要性

【人生考察】 不道徳が日本をまん延しつつある。日本人から善を重んじる精神が失われている。昨今の様々なニュースの中には以前では考えられないような不道徳な事件が起きている。


子ども達は「道徳」が教科化されたが、大人の道徳こそ教育しなければならないのではないか。大人達はどこで道徳を学んだら良いのか。高校や大学でも道徳を教える事はないので、会社や役所で道徳を教えてくれるのだろうか。どちらかというと、不道徳を教えているような嫌いさえもある。


特にシニアの劣化は否めない。列に並ばず、堂々と順番を無視し、注意をすれば「何が悪いのか」という表情や言葉を発する。社会において、シニアは人生の模範であるべきなのに、そのシニアの独特心が低い。これでは働き手や子どもは道徳心を大事にしようとは思わない。この不道徳は、シニアだけでなく、全ての世代にいえる事だろう。


小学生の学習指導要領では、道徳科の目標を「よりよく生きるための基盤となる道徳性を養う」として、学習活動を「道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考え、自己の生き方についての考えを深める学習」と改めている。大人は胸を張れるだろうか。


資本主義の会社では金さえ稼げれば良い、との価値観も存在する。働く際に無気力で賃金を得ようと思う者もいる。役人は国民に養われている事を意識しない。他人の事は無関係とし、自身の利益のみを追求する。そして何よりも法に抵触しようと、自身が正しいという姿勢を貫く。


子ども達にきちんとした道徳を教えても、街に社会に出て不道徳が多ければ、Wスタンダードに悩むだろう。特に親が道徳科の教えと異なっていた場合に、心の隙間ができる。今の母親は断定発言が多く、柔軟性に乏しい。よって子どもはWスタンダードに陥る恐れがある。


立派な大人が減った。打算と保身のみで生きる社会は息苦しい。


何をもって正しい道徳なのかは、分からない。但し、心を美しく磨く努力は常にできる。周りの不道徳を放置していると、いつの間にか、自身が不道徳な人間に堕ちてしまう。これだけは避けねばならない。


記事:金剛正臣

0コメント

  • 1000 / 1000