日本のファッションに出来て、映画・音楽で出来ないモノ

【芸能論説】 日本の映画は、幼稚な作品が多い。ファッション界では、東京コレクションが世界五大コレクションに数えられるのに対し、東京国際映画祭は五大には入っていない。理由はシンプルで、日本の映画の品質を、ファッションと異なり、世界が認めてない証しである。ファッションと一重に比べることはおかしいであろう。ただハイムが取材を何年か行った結果として、一つの大きな違いが両業界にはある。


それは、「そのメゾン(ブランド)や映画作品そのものは誰が責任者なのか?」という点である。これは同様に日本の音楽界にも云えることだろう。メゾンは、通常デザイナが最終的な権限を有す。一部、会社が権限を有す場合もあるが、評価は低い。一方、映画は大手の配給会社及び製作委員会が権限を有す。しかし、インディーズは異なる。監督が強い。音楽は、レーベルの意向が強く反映される。この権限は、直接的でも間接的でも結果論的な権限者(=責任者)だ。



<商用を目的とする者が権限者である場合、低品質>

 平成二十八年四月十二日に記事『今の日本映画にもの申す…「レベルが本当に低い!」 英映画配給会社代表が苦言/産経新聞』が配信され、英国の映画製作・配給会社「サードウィンドウフィルムズ」代表を務めるアダム・トレルが日本の映画界に対し、監督をパーツ化している点を指摘している。


日本映画の大作、例えば『進撃の巨人』はアメリカのテレビドラマっぽくてすごくレベルが低い。何でみんな恥ずかしくないの?



未来の匠を育てる

 ハイムは昨年の映画祭でトレルに会い、同じ様な話を会場で放った映像(映画「下衆の愛」)を配信した。ファッションも映画も音楽も、金に媚びない志高き者はいる。しかしながら商用会社は、彼等を排除する。ポイントは、排除されない様に仕事をするのではなく、大手に排除されても各々のデザイナ・監督・作曲者らが生きていける市場を強くすることであろう。但し、大手でも優れた作品があることは認める。


SNSやクラウドファウンディングの発達により、時代の環境は整ってきている。もうひと暫くの辛抱で、日本の未来の匠らは開花(市場を獲得)するだろう。その際に、支援するユーザが必要だ。お金だけでなく、中長期的に支持するユーザが必要だ。さもなくば幼稚な映画等が跋扈し、良い作品は生まれても表に出てこなくなってしまう。ハイムは大手以外の映画(監督や演者ら)を追いたい。支持者を募る。


写真:「第二十八回 東京国際映画祭/㈶ユニジャパン」より

撮影:岡本

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