なぜ生きているのか

【論説】 八月十五日は『終戦の日』。降伏は九月二日。皇紀二六八〇年=令和二年で七十五年。


今の若手・若者・子どもが平和に生きていける理由は、世界最強を決する「日米戦」を闘った同世代が昭和時代にいたから。


当時の若手達を決して、忘れてはいけないだろう。


だから陛下をはじめ、三権の長達が毎年、皇居外苑「日本武道館」に集う。世界一決定戦に負けはしたが、その後の昭和時代の若手達が戦後復興・高度経済成長・バブル景気と再び、今度は経済戦で世界最強を決する「日米戦」に挑んだ。その時は「Japan As No.1」とまで言われた。



バブル崩壊後、平成時代の若手達は静かになってしまった。



確かに戦中の若手達からすれば、今の日本は命を賭した価値があったであろう。当時とは比べ物にならない程に物は豊かになった。だが、心はどうだ。


二十代・三十代で死の覚悟をしなければならなかった彼らへ、堂々と今の若手自身の心を自慢できるだろうか。心は晴れやかか。大志を抱いているか。国の為と信じて没した当時の若手の心を蔑ろにしてはならない。逆の立場なら、今の若手の心では空し過ぎやしないか。



食べたい物も食べれず、友人や恋人、家族との楽しい時間を捨て、米国人と数年間も闘った



三百万人にのぼる戦没者は、若手を中心に構成されている。新興国・米国と死闘したのは若手だったのだ。以後、米国に直接、軍事で挑戦する者はいない。若き彼ら在りきの今の日本の若手在りき。


時代は替わり、令和となった。平成の若手が令和でいつまでも若手とは限らない。現在の若手は、新たな令和時代を築く初期の大切な世代。平成初期の若手は、暗い雰囲気で入ってしまった。だから、平成時代に盛り上がる流れにならなかった。実際に人柱となった昭和の若手を忘れてしまった(霊魂の単位は“一柱”)。



令和時代は後の若手の為に、明るい未来を指し示す

 自己中心的な先輩となってはならない。これでは上の世代と変わりない。次の若手の為に懸命になるのが、健全な社会。今の若手は日本国を背負っている。背負い込まされてしまっている観は否めない。だが、それだけ価値ある世代でもある。


米国は世界で唯一、米本土に爆弾を落とした日本を戦後の占領政策で徹底的に壊した。日本の若手と相対した米国人は怖かったからだ。その時に米国が決めた各種のルールが今でも残っている。日本国憲法や教育だ。


日本がマゲから五大国(世界五強)に成り上がった根幹「大日本国憲法」を米国は破壊したかった。当時も識字率や数学力が男女ともに世界クラスだった。その大本となった「教育勅語」を悪の経典に仕立て上げたかった。それほどに、昭和の若手は強かったのだろう。


この教育勅語は明治天皇が決め、正妻であった昭憲皇太后が徹底。女子への学問を開放し、十代でも米国留学をさせる等と男女平等を拓いた。



バブル崩壊も米国が仕掛けた。家族主義を徹底的に壊し、個人主義を若手に薦めた。米国は日本の世代間を分断したかった。今もなお、日本が作り上げた「年功序列」「終身雇用」「労組」の三種の経済神器を破壊中である。大日本帝国憲法と教育勅語で育った世代が他界するまで、後、数年。今は米製「日本国憲法」と広義「ゆとり教育(昭和五十五年~平成二十五年)」で育った世代が過半。間もなく、米国の占領政策が終わる見込み。


戦後は終わっていない。



終戦の日から七十五年。未だ日本は、自分自身を取り戻してない。皇紀は戦後に使われなくなれ、西暦を使う様になった。占領は終わっているのに、新聞では未だに西暦の次に元号を記しており、恥ずかしい。これでは心の隷属状態と変わりない。意識してなかったら、洗脳は成功している。明治の若手は、西欧列強と闘う為に立ち上がって勝った。昭和の若手は、米国と闘う為に立ち上がって途中まで勝っていたが、無謀な中堅・シニアのせいで負けた。間の大正・平成の若手は中堅・シニアに任せ、何もしなかった為に「戦後恐慌」と「平成不況」に陥った。



令和の若手の心は、どう在りたいか。

今の若手の為に、七十五年前の三百万人が人柱となってくれた。では今の若手は七十五年後の若手・若者・子どもの為に何をしようか、何を残そうか。

若手を代弁する報道府は、若手が活き活きとできる社会に戻したい(結果、子どもも伸び伸びする)。


当時の若手の人柱を前に自己の人生及び日本国を想う日が、『終戦の日』である。

(了)





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