【人生・社会考察】 日本の政府は令和二年迄に「社会のあらゆる分野において、指導的地位に女性が占める割合を少なくとも三十㌫程度とする目標」を掲げていた。だが、七月に令和十二年迄に先送りを決定していた。
令和元年度「男女の初期キャリア形成と活躍推進に関する調査(第五回調査)報告書/国立女性教育会館」によれば、民間の指導的地位である管理職について「⽬指したい」は一割強、「どちらかというと⽬指したくない」と「⽬指したくない」は五割。その理由は「仕事と家庭の両⽴が困難になるから」の割合が最も⾼かった。
先の政府の決定は、平成十五年に男女共同参画推進本部が決定し、二十二年に第三次「男女共同参画基本計画」を閣議決定。もう二十年ちかく失敗し続けている。
何故か。仕事と家庭の両立困難以外にも、「責任が重くなるから」「自分には能力がないから」「仕事の量が増えるから」と管理職を目指したくない理由が並ぶ。キャリア設計意向について「⾃分で決めたい」は三割しかいない点も見逃せない。これは女性に対し、ある程度のキャリア設計を提示すれば、選択できる事を意味する。
詰まり、平成からの日本社会は、女性が管理職を目指したくない社会。
何故か。メリットが無いに等しいからだ。
何故か。日本社会は男性のメリットに照準を当てている社会だからだ。
何故か。昭和までは女性が管理職になるメリットを考える必要がなかった。平成以降では、管理職以上の男性が女性への傾聴(ヒアリング)を行わず、女性の意見を尊重しなかった、または尊重できなかったからだ。
何故か。男性が紳士ではなく、幼稚だからだ。
これはトヨタ式の「5Why分析」。さて、逆算的に進めていこう。
男性の精神年齢が上がり、幼稚から紳士になる。
すると、女性の声(言葉)にならない声(思い)を察する事ができ、女性の意見を尊重する、またはできる。
すると、日本社会における女性のメリットが明瞭・明確になる。
すると、女性が管理職になるメリットを生み出せる。
すると、自ずから女性が管理職を目指したい社会に変わっていく。
すると、管理職を目指したい女性の割合が増える。
これは仮説であり、検証する必要がある。
だが、今の力技で男性ないし男性社会で上になった女性が押し付けるより、マシだろう。
女性活躍が分かっているのならば、男性社会と女性社会の両輪で政治・経済を廻した方が良い。だから、答えは簡単。女性社会を半分つくる事だ。
既に女性社会はある。PTAや団地での女性コミュニティ、NPO等。これらの女性社会を男性達が政治化・経済化できるか否か。もっと分かり易く言うなれば、これらをビジネス化できるか否か。恐らくできる。男性の精神年齢を高めれば。今、求められるのは父性。
キャリア設計意向について「⾃分で決めたい」は三割。後の七割の女性に提案する。当然、父が娘の意見を尊重しながら、進めていく様に、少しずつ提案をパーソナライズして本人の意欲が高まるまで、本人が望むまで見る。
男性とは異なり、勝手に育つ事は無い。女性は、おしゃべり等の女性的コミュニケーションの中で人間性が育まれるもの。「ぺちゃらくちゃら」は必須。これがY染色体とX染色体との違いの一つではないだろうか。
実際には、女性の「ぺちゃらくちゃら」を男性は軽視・蔑視する。人権侵害も甚だしい。非常に幼稚である。女性の「ぺちゃらくちゃら」は情報交換や相手の心情の理解、平和的解決方法の模索等と男性とは次元の異なる超・高度なコミュニケーション術。
特に脳科学者達も理解している通り、脳幹内における情報伝達のスピード・質・量は女性の「ぺちゃらくちゃら」の方が圧倒的に勝っている。男性は信じられない程にスピードが遅く、質も低く、量も圧倒的に少ない。こういったデータは枚挙に暇がない。
その事に男性は気が付いてない。気が付いても、子どもの様に認めない。
さて、以上より社会に君臨していると勘違いしている男性が幼稚なので、女性活躍ができない。女性の心の声(口には簡単にする訳がない)を察し、紳士に導く父性ある男性によって女性が活躍できる。
では、その父性ある男性は誰が育てるのか。残念ながら「鶏と卵」と同じ関係で、精神年齢の高い女性が育てる。
その精神年齢の高い女性は、幼稚な男性と何処で出会うのか。水と風である。平成の左派系・人権派の女性(いわゆる賢いと言われる女性)は、この水と風を徹底的に破壊した。連結点の減少と言う点で。また、女性が誇るべき乳房の谷間を禁止したり、性的な書物の禁止等で、男性は連結点の情報収集ができなくなってしまった。
よって、幼稚な男性は精神年齢の高い女性に出会えなく、他方、収入が減っていく為、幼稚な男性をを育てる女性も減っていった。その結果が、今だ。
法的・社会的事実を鑑みる限り、昭和より以前の左派系・人権派の女性は、本当に賢かったのだろう。今よりも若いのに頼りがいがある素敵な男性が、たくさんいたではないか。二枚目は二枚目で、一枚目には成れない。だが、今の男性は二枚目に成りたがっている。一枚目に成りたい男性は、何人いるだろうか。
軟弱な男性を望み続ける限り、女性の所得は減っていく。
所得を大きく稼ぐのは男性が統計的にメイン。大きく所得を稼ぐ強固な男性の近くいるから、女性の所得は増える。ただ、その男性に父性がなくば、女性の所得は増えない。
事実、労働時間や労働の質は多く・高く求められているのに、実質賃金は上がってない。これは結果的に所得が減っている事になる。感覚で言えば、今のゆとり世代女性の労働は昭和基準で三倍の賃金を貰って良い。それ程に昭和女性よりも仕事をしている。
それもこれも、碌に稼げない軟弱な男性が多いせいだ。
今は、ある意味で女性が決める時代でもある(恐らく平成から)。
女性が軟弱な男性を求めれば、自身も含めて衰退していき、強固な男性を求めれば、自身も含めて発展・繁栄していく。今は前者が世論。但し、若手以外の女性が決めている。若手の女性が後者を選んだ時、詰まり、「社会人になってから今までの日本社会が嫌だ(第一、こんなに頑張ってお金が増えないのは許せない)」との意見が明確になった時、後者が世論となり、女性には幸せの道(所得増、頼れる男増、生き生きできる増)が拓ける。
女性活躍は数値ではない。今の若手の女性が幸せか否かだ。
尚、精神年齢はTEG(東大式エゴグラム)等で診断できる。私は二十代前半から常に六十歳を超えている。父性というよりは爺。これは母や今は亡き祖母等、母性豊かな女性達の非常に厳しい教育のお陰。感謝しない日は無い。そして、精神年齢が高いから偉い訳ではない。ただ「鳥の目・虫の目・魚の目・コウモリの目」の四つの目で見れる、というだけに過ぎない。
記事:羽田野正法
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