性を語れない大人は未熟、確かな性教育と有害図書の一部解除へ

【教育論説】 この国の性教育は劣った。よって、幼児虐待や子どもへのレイプが増え続け、低年齢化し続けている。警察白書で充分な証拠がある。団塊世代としらけ世代の罪だ。奇麗事の被害者は子ども。


子ども達へ性を真摯に語れない以上、如何様な肩書があろうとも、大人としても人として未熟である。ビジネスや趣味以前に性が人間、生物の根源だからだ。性行為なくば、種族は滅びる。性交渉という難儀な言葉がハードルを上げている。



全ての発端は、平成一年の最高裁判例。「青少年保護 育成条例における有害図書 指定制度」は、青少年の知る権利(憲法二十一条)を制限する。この争いで最高裁は、「青少年非行等の害悪を生ずる相当の蓋然性」がある範囲で本条例を合憲とした。


今は令和二年。一元号前の平成二年頃、書店やコンビニには性的な雑誌が数多く陳列していた。書店によっては路面の外に略ヌードな女性の表紙の雑誌も陳列していた。当時も学校では性教育の時間は年に一時間ある程度で、子ども達が理解できる訳がない。だから男子達は、捨ててあるビニ本やマンガの雑誌等で性教育を学習し合った。多くはなかったが、「How to Sex」の本もコンビニで売っており、子どもでも買えた。



学校教育が拙い分、今で言う有害図書を読む・見る事で確かな知見(異性の身体の仕組みや性行為の順序、その前段階等)を学べた。


先の判例を受け、各都道府県が条例を止めどなく厳しくしていった。結果はどうだろうか。令和二年では、幼児虐待や子どもへのレイプが増え続け、低年齢化し続けている。青少年の非行は減ったかもしれない。その分、大人による悪質な性犯罪が増えた。理由は単純だ。



有害図書の指定乱発で、子ども達が性を学ぶ機会が全くなくなり、ネット普及により、あり得ない設定描写のコンテンツが増え、性による知識及び交渉が現実と大きく乖離してしまったからだ。AVを通常の性行為と信じる者がいる。平成二年頃の性的な雑誌等は現実に即した表現のコンテンツであった。ちゃんと人間と人間の性行為(今で言う性交渉)を出会いや会話、心の移り変わりをきちんとマンガや小説では描写していた。AVが現実とは異なる事ぐらいは理解していた。




出版社達は有害図書指定で販路が激減した為、ネットコンテンツに移行。真っ当な性交渉のコンテンツでは売れないので、過激化していった。


電車の週刊誌等の中吊りでは、水着の女性が載っている事は当たり前だが、今では胸の谷間の部分に隠しマークが施され、ニュースアプリでも大人の水着は敬遠される。これでは子ども達に「大人の水着」が悪と擦り込んでいるに等しい。一方、アイドルの様な幼児体系であれば、問題なしとしている。よって、そっちを善と捉えるのは至極、当然である。社会が幼児を薦めている。



今の社会に権力を有す団塊世代としらけ世代が、胸がある大人の女性の身体が悪で、胸がない幼児の女子を善とのメッセージを放つ。



これらは全て今の大人の都合である。それらによって子ども達は間違った知識・感覚を身に付けてしまっている。彼らが大人になった時に、性の対象であるべき大人の女性ではなく、社会的に許容されているアイドルの様な幼児を性の対象とした者が冒頭の犯罪に走る。


先の判例には有害とされる図書が「青少年の健全な育成に有害である事は、既に社会共通の認識になっていると言って良い。」とある。詰まり、社会の認識が変われば、判例も変わる。有害図書の過度な規制は「青少年の健全な育成に有害」である。虐待・レイプされて良い訳がない。根拠は歴年の警察白書。




今、小学校の教諭達はDXや学ぶ内容の変化、PTA対応で、とてもではないがキャパオーバーしている。その教諭達に更に性教育を学べというのは、現実的ではない。少しずつ、性教育をどの教諭でもできる様に文科省が養成していくべきだ。


その間も子ども達は育つ。有害図書とされている物の内、真っ当なコミュニケーションを経ている、ないし教えている性交渉の雑誌等は条例で解除すべきだ。条例ならば、各都道府県の議会でできる。判例変更は社会共通の認識になった時で、後だ。


驚くべきは、有害図書と意思決定する者達が、現実に子ども達が触れているアダルト コンテンツを知らない点だ。DMM系の会社のゲームは一般広告にも出てくる(同じタイトルをR指定と非R指定で分け、非R指定を広告)。R指定の方のタイトルにも、チャットでは子ども達と分かるテキストが並ぶ。こういったゲームは放置している、というか、意思決定者はタイトル等を認識していない。


そこでは、幼児の女子と大人の女性に二分。これはゲームだけではないが、マンガ等でも幼児と大人に分けている。幼児が売れている証拠だ。規制するべきは幼児を扱うコンテンツであって、大人の女性のコンテンツではない。大人の女性のコンテンツを規制し過ぎて、幼児コンテンツが大幅に増加した。平成二年頃に幼児コンテンツは絶対数が圧倒的に少なく、せめて高校生風だった。

今では幼児コンテンツの方が人気があるとさえ、言える状況になってしまった。これは異常だ。



幼児を性対象とするのではなく、大人の女性を性対象とする社会に戻すべきだろう。

米国は日本はよりも幼児虐待数が遥かに酷く、まるっきり参考にならない。米国女性の程度の低さを証明している。守れないで何が母か。米国もプレイボーイで分かる通り、大人の女性の表現を縛り、幼児虐待を増加させてしまっている。本末転倒で愚か過ぎる。


日本女性も大人の女性の性表現を過度に縛るのではなく、子ども達へ被害が及ばない様に考え方を改め、子どもを守られたい。


その為、確かな性教育を子どもに施しながら、子ども達が現実を学べる教材を普通に書店やコンビニで売るべきだ。そうすれば、子ども達はこっそりと学び、真っ当な価値観の大人になる。

(了)



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