ペンとムービーが持つ力は顕在、対象はエリートか大衆か

【社会考察】 平成二十八年八月十一日に記事『「ペンの力って今、ダメじゃん。だから選挙で訴えた」鳥越俊太郎氏、惨敗の都知事選を振り返る【独占インタビュー】/ハフィントンポスト』が配信され、話題を呼んだ。英・作家のエドワード・ブルワー=リットンが残したとされる格言「ペンは剣よりも強し」。独立している報道機関等の活動は、暴力よりも影響力がある、とされる。しかし当時のリットンは、為政者が条約等に署名するサインのペンの力(>戦争)を指していた。


ペンの力が弱まったのではない。ペン(新聞等)の力は主にエリート層に対し有効で、ムービー(TV等)の力は主に大衆に対し有効である。鳥越自身も昭和六十三年に週刊誌「サンデー毎日/毎日新聞出版」の編集長になり、翌年に発足した宇野内閣を総理の愛人問題を同誌が報じ、わずか六十九日で退陣させている。維新・法律政策顧問の橋下徹は、十五日の記事『橋下徹「なぜ好印象だった鳥越さんが急激に評判を落としたか」/プレジデント社』にて、下記の様に述べた。


民主国家においては有権者がすべてを決するけど、有権者の判断要素として、「感情」の占める割合が高いのは否定できない現実。そして理性に訴えかけるのが得意な新聞メディアに対して、テレビメディアは感情に訴えかけるのが得意




<散々、集団的自衛権を報じたが>

 橋下の意見は、的を射た発言だ。本人は一度も国会議員になった事はない(個人として国政選挙で勝った事がない)ものの、TV出演のメリットを活かし大阪府政や国勢政党の立ち上げに成功した。橋下は大衆に向けてのメディア露出を巧みに利用した。本稿の命題に戻れば、ペンはエリート層でムービーは大衆層。これは差別ではなく区別となる。小学生に大学の講義を行わない。小学生や中学生には、彼らの教育水準に合わせた授業がなされる。これは差別ではない。大衆はおろか、国会議員でも昨年の重要な用語「集団的自衛権」を分かりやすく説明できる者は少ない。


説明する者には、法学や政治学の中でも「国際政治学」の知見が問われる。この高高度ジャンル内の「集団的自衛権」を小中学生に分かりやすく教える事は難儀であろう。ITリテラシがあるなら、政治リテラシもある筈だ。戦後、日本の教育水準は向上の一途を辿った。鳥越は七十代後半。当時のエリートと大衆では、現在、雲泥のリテラシ差があって当然ではないだろうか。故に、大衆層は理論よりも感情を大切にする。故に、エリート層は感情よりも理論を重んじる。



後十年で数段上げる必要のあるペンとムービー

 ターゲットが異なれば、マーケティング戦略が変わる。大メディアと呼ばれる新聞「朝日」「毎日」「読売」は、大衆よりながらも「集団的自衛権」をできるだけ説明していた。ただ、難解度は変わらない。同じく大メディアのNHKと民放各社も、できるだけ分かりやすく視覚的に説明していた。ただ、理解したか否かは、国民に問えば分かる。「集団的自衛権」を国民が説明できないのであれば、それは理解はしてないものと見做せる。


命題に再度、戻る。ペンはエリート層、ムービーは大衆層。それぞれに力を有している。但し、後十年もすれば、教育水準が上がった若い世代を含め主力になる時代が来る。今の二十代、三十代、四十代だ。彼らは現行のTV番組の大半を好まない。一重に低レベルと見做しているからだ。各メディアはユーザを馬鹿にしてはならない。思っている以上にユーザは賢い。発信者(記者や放送局)は相応の頭脳が必要だ。ペンはエリート層、ムービーは大衆層の平均リテラシが数段階も上になる。

(了)

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