マキャベッリ『君主論』に視る、機会の窓(エリート向け)

【書籍】 世界的名著の一つに数えられる伊・外交官マキャベッリの『君主論』。十五から十六世紀が舞台だ。国の外交という交渉事を担っていたマキャベッリが表現した「機会の窓」。どんな人生にも通ずる事象で、変化する環境において「機会の窓」が開いたならば、その時を様子見ずに手を伸ばして果実を得よう、というものだ。


当時のイタリアは、複数の国家が存在していた。マキャベッリは、イタリア半島の中北部に位置するフィレンツェ共和国の外交官。周囲の小国、大国は北東に新聖ローマ帝国(ドイツ)や北西のフランス、南のローマを擁する教皇領を意識した外交力が求められた。フィレンツェは、大財閥メディチ家が支配していたが、国外逃亡後にマキャベッリが起用される。


<君主論はHowTo書>

 しかも三十代という若さで、マキャベッリは各国とやり合った。ポイントは四十三歳になったマキャベッリが無職になり復権したメディチ家に再就職してもらう為に書いた『君主論』であった点だ。趣旨は当時の君主へのHowTo書である。各国のトップと仕事で渡り合ってきた経験があったからこそ書けた。結果はメディチ家に読んで貰えず再就職が適わなかったが、後世に名著となった。

人生には、最初の転換を実現する機会(チャンス)が何回かある。マキャベッリ的にいえば「機会の窓」が開く時だ。それは本当に何回かしかない。やはり三十歳が一区切りだ。それまでに「機会の窓」から果実を獲得できれば、三十代で次のステージの「機会の窓」が用意される。そのチャンスは三十歳未満より少ない。そこも果実を獲得できれば、人生で最大の「機会の窓」が四十代で顕れる。


「機会の窓」の有限性

 そこも果実を獲得できれば、安定路線に入り確変の様に「機会の窓」が表出し始める。その際は、数多ある果実の審査と選択が重要になってくる。先の都知事選における四十代の蓮舫がそうだ。彼女は都知事選を見送り第一野党の党首になれる機会を選んだ。その果実を獲得できれば、総理を獲得可能な射程距離に収める事ができる。

では「機会の窓」が開いたにも関わらず様子見を決め込んでしまったら、どうなるのか?年代にもよるが「機会の窓」自体が表出しなくなってしまう。それは人生に転機が訪れずに、自身の右肩下がりを黙って見てるしかなくなってしまうのだ。こればかりは足掻いても大した意味はない。


だから年長者は口を揃えて「若い内は苦労を買ってでもしろ。」とか、「忍耐力をつけよ。」等と言う。チャンスは有限だ。高齢になった時に、「あれがチャンスだった。あの時に動いていれば。」と分かる。逆を言えば、チャンスが来た時にはチャンスと認識できないか、臆してしまうのだろう。「機会の窓」を認識できる様に神経を研ぎ澄まし、その窓が開くまで耐え忍び、開いたならば迅速に行動し果実を得続ける。



記者:金剛正臣





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