【社会考察】 平成二十八年八月十五日に日本の学生団体「シールズ(代表:諏訪原健)」は解散し、翌十六日に有志が最後の記者会見を行った。一年の活動期間中に「シールズ」は新安保法制の採決時に大型のデモを扇動し、先の参院選で野党共闘の契機を創った。結果は共に失敗であったが、解散を機に「シールズ」に関する批評が立ち上がる。十五日に東京・新宿で共産・小池晃 書記局長が「シールズ活動を受け継いでいこう!」を諸活動を後継する意志を示した。
ビジネスにおいて、経緯は非常に大切である。然しながら結果が伴わないものは悪し、とされる。民主党政権も安倍政権も同じであろう。経緯も大切だが、結果はより大切。「シールズ」が解散した結果、何が残ったか。それは実質的な代表の奥田愛基のバリューネームの向上のみ、である。大型デモは新安保法制を世論的に止めれずに失敗、野党共闘も失敗。特に都知事選の野党共闘は推薦者の資質も重なり惨敗だった。
<寄付金はいずこへ>
「シールズ」の活動期間に合わせ、奥田が立ち上げ、代表理事に就任した一般社団法人「リデモス」は公式サイトにアクセスできず、組織としての公式サイトが存在しない。収益事業を行わない社団法人は、集めた寄付金に課税がされない。同法人のSNSは七日をもって更新が止まっている。「シールズ」等によって若者の政治参加意識が高まった、との批評がある。十八歳と十九歳の投票率は参院選・都知事選共に上がった為、一部で効果があったと見做せる。然しながら、学校の主権者教育と選管の努力が大概を占めるであろう。
結果、やはり残ったのは奥田の知名度。これだけ診ると、「シールズ」を支えた学生らは奥田が知名度を向上する為に報酬(金銭等)をもらわずボランティア活動した事になる。ハイムは参院選等で「シールズ」とみられる若者が休憩している最中に声を掛けた。返って来た答えは当時、意外であった。「義務感。」「とりあえず。」「仕方なく。」と負の意識で参加していた。参院選時に「シールズ」解散は決まっていたので、そちらを問うと全く知らなかった様子で「早く解散して欲しかった。」と安堵の表情をみせた。「シールズ」を実質的に支えていた首脳部ないし執行部以外は、やる気がなかったのかもしれない。
奥田は搾り取る者か、報いる者か
彼らは本分の勉学や就職活動を投げ打って「シールズ」に貢献した。当然に履歴書にデモ活動を載せる事は適わない。企業の人事が採用時に、履歴書等にデモ活動を堂々と記す者を賛美し難いだろう。一年といえども大事な時期を投げ打った。然し思い出だけが残ってしまいかねない。一方の奥田は異なる。知名度があるが故に、どこかでの再出発が可能だ。結果論でいえば、「シールズ」を支えた学生らは奥田の知名度の為にボランティアをした。よって、奥田の責任は重い。奥田は彼等に報いる大業を成し遂げなければ、報われない者が存在する。
先の社団「リデモス」は、どうなったのだろうか。集めた寄付金は、どうなるのだろうか。「シールズ」の皆が頑張った努力を、何がしかでカタチとして示さなければ、単なる搾取者で終わる。まだ二十代の奥田には可能性がある。経験を活かし、裏切らない更なる成長を期待したい。
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