読解力低下は『助詞不足』が原因か

【教育考察】 読解力が叫ばれて久しいが、そもそも日本語における読解力とは何なのか。読解力が落ちている原因は、『助詞不足』かも知れない。


令和三年二月二十二日に日本ビジネスプレス(代取:菅原聡)は、東大合格を目指すAI「東ロボくん」の開発に携わる国立情報学研究所・新井紀子(壬寅)教授の講演内容『DX時代の人材育成の鍵は「読解力」にあり』を配信した。講演は同社主催のイベント。この講演で数学者の紀子教授は重大な点に触れている。

「AI読み」で教科書が読めると思っている人は危険です


AI読み。端的に言えば、これはキーワード読み。詰まり、名詞・形容詞・動詞等の単語だけで理解しようとしている事になる。AIと言うのは紀子教授が言う通り、検索(索引)のプログラムでしかない。AIは文章を読んでないし、検索結果に対する正当性も保証できない。あくまでも統計的な検索結果でしかない。


紀子教授は自前の「リーディング スキル テスト」にて子どもの読解力を測ったが、手厳しい結果となった。数問の例が当該記事にあるので、挑戦されたい。




<破茶滅茶な日本語がたくさん>

 今、日本人は百四十文字制限のTwやLINE、検索タグ(SEO)等によって文章ではなく、短文化・単語化・イラスト化している。もっと分かり易く言えば、超絶的にスラング化している。これでは真っ当な意思疎通(コミュニケ―ション)ができない。


名詞・形容詞・動詞等の単語だけでは、文章は成立しない。外国人のカタコト日本語と同じだ。外国人の中でも流暢に日本語を話せる人は、決まって助詞が豊富である。そして発音の際、助詞の部分で音を下げる(語尾を上げない)。一般的な助詞「が」「を」「に」「の」「と」等を格助詞・接続助詞・副助詞・終助詞で使い分ける。これは日本語の文法の基礎。


例えば「私は、貴女は言った事を信じる」。二番目の「は」は通常「が」ないし「の」である。だが、報道機関の記事でも同じ様な過ちが散見される。

※例;都知事の記者会見での文字起こし


プロの報道記者でも誤っている事がある。最近でよく散見されるものが「~や、~」と「や」の後に「読点(、)」を入れている事。これは可笑しい。この「や」は英語での「or」の役割なので、「ないし」等で代える事ができる。「例)りんごや、みかん」ではなく「例)りんごやみかん」。もし、これで読点を入れなければならないと判断するならば、そもそもの「や」の前後の文章が長過ぎる事になる。所謂、過剰修飾だ。


助詞を理解すると文を構成できる。その後で、文と文を繋ぐ「接続詞」を学ぶ。逆接系なのか、順接系なのか等。この繰り返しで文章が組み上がっていく。当然、文章と文章には前後関係等があるので、入れ替えたり、補足したりとバランスを整えていく。


その後に文脈・文意となり、読解力となる。



読解力とは、日本語が分かる力

 この読解力に関する根本的な遠因は、恐らく日本文化・国語の軽視だろう。第二次大戦の前後で小中学校の国語の時間が圧倒的に減らされた点は幾度も伝えている。


日本語は助詞が豊富な為に他言語よりも難解だ。英語には、こんなに多くの助詞(数多の意味)は存在しない。例えば米国は建国三世紀足らずなので、米文学は弱い。日本は、平安時代に女性が執筆するという世界的にも例がない程に当時より高等教育であり、平安時代からでも十世紀以上の日本文学がある。文学は、その国の歴史そのもの。


欧米に倣うは民主主義や数理的技術であって、文化は参考程度だ。最早、民主主義に関しては米国よりも上だろう。日本国民は議会を武力で占領しない。この国は白人の国でもないし、キリスト教の国でもない。だから、報道府もキリスト教の西暦を基本的に使用しない。それは日本の報道機関だからだ。


読解力とは、日本語が分かる力に他ならない。国籍上は日本人だが、日本語が分からない日本人が増えている。これは大問題である。



打開策は「助詞」を学び直す事ではないだろうか。そして国語・日本文学(古典でなくとも良い)を今一度、書物で読むべきではないだろうか。スマホの画面でも情報は入ってくるが、文脈や心情、背景等が入ってき難(ニク)い。これは科学的に未だ証明されてないものの、訝(イブカシ)しむ点だ。


そして何よりも助詞遣いが綺麗な人は、美しい。


記事:金剛正臣

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