【人生コラム】 人はお金に困るもの。
なぜ困るのか。それは自身の「生産力が乏しい」から。
全ては、この一言に尽きる。
このことを真剣に考えない限り、コロナだろうが、なんだろうが、一生、お金に困る。
逆に「お金に困らない」人は、どんな人か。
それは「生産力が豊か」な人。
<自身の働きとお金を払う価値>
経済には二つある。実体経済と金融経済。
実体経済は、捉えやすい。自身が働いて対価を得る。自身が安定して“働く”という生産をし続け、かつ、対価を払ってくれる者が納得し続けている間は、「お金に困らない」。
いくら安定して働き(生産し)続けていても、対価を払ってくれる者が納得しなければ、「お金に困る」。売れない商品・サービスが典型的。押し付けても、払わないものは払わない。
常に、自身が生産するもの(働き)に対して、需要があるか否か。
これは金融経済も同じ。株の取引きだろうが、通貨の取引だろうが、その売買(働き)に対して、利益・損失が発生する。安定して安値で買って(ないし売って)、高値で売って(買って)いれば、売買という働きには利益という対価が発生する。売買のセンスや努力によって「お金に困らない」。市場に参加しているユーザを見る力のことだ。
共通する点は『信用』。
自身が安定的に生産し続けるから、対価が入ってくる。人は信用にお金を払う。「お金に困らない」人は、この信用力が高い=生産力が高い。つまり、たくさんの人からの信用をもっている人が「お金に困らない」。これを“儲け”という。信じる者を横に圧縮すると、“儲”。
それは、メールの返信や話している時の雰囲気などの人間性(会社などの性格)も含まれる。人は信用できる人、商品・サービスにお金を払う。
日本は世界的に金持ちの国だが、それは日本国民が信用できるとされているからだ。
自身の働きは、どれほど人に信用されているだろうか。
お金は“物”ではなく“対価”
お金を“物品”とみる人は、たいてい失敗する。損している、とも言える。単なる紙幣のコレクタとなり、実際にお金を払ってくれている人を見てない。お金を払ってくれる人を見てないから、何を提供して良いかわからなくなったり、勘違いしたりして、欲しくないものを提供し始める。結果、その人への需要が減り、お金が集まらなくなってくる。
今、たくさんのお金だけを持っていても意味は無い。お金をつくり出し続ける自身がいないと、意味が無い。
お金を“対価”とみる人は、たいてい成功する。得している。お金はあくまでも、自身が提供した商品・サービス(株の売買なども含む)を欲している人が払ってくれるもの。人がいないとお金が発生しない。だから、お金を払ってくれる人をよく見る。
一見だけを相手するビジネスは、信用がいつまでたっても無いので上場企業にはいない。常にリピータを気にする。リピータこそが信用を創ってくれるからだ。YouTubeでもトヨタでも同じ。これを本質的な「信用創造」という。
以上から、「お金に困っている」人は自己中。「生産力が乏しい」。「お金に困ってない」人は他人中。「生産力が豊か」。
「率×量(パワー)×質(クオリティ)」
ポイントは「生産性」ではない。お金は多い少ないなので、「生産力」。生産性は、率のお話し。生産力は量と質のお話し。高い生産性にパワーとクオリティが掛け合わされると、儲けが倍増し始める。
バブル世代や氷河期世代が典型的だが、率は良い。だが、お金が少ない。理由は「量が少なく、質が高い」か、「量が多く、質が低い」、または「量も少なく、質も低い」からだ。安定的に「量が多く、質が高い」時に「お金に困らない」。上場企業が典型的。
ゆとり世代のクオリティは高いが、なにぶんパワーが無い。よって、ゆとり世代でもパワーがある者は成功している。「率×量(パワー)×質(クオリティ)」。
追加で、支出と収入のバランスが悪ければ、「お金に困る」。収入は生産力なので、生産力に見合った支出でないから「お金に困る」。結局は生産力=信用、しだいとなる。
一生「お金に困らない」のは簡単だ。「生産力を豊か」にすれば良い。需要が高いもの(顕在需要)よりは、需要がありそうなもの(潜在需要)を狙う。需要が高いと思われているものには、既に上場企業がいるハズだから。とてもじゃないが、「量が多く、質が高い」で勝てない。
「ニッチ/コトラーの競争地位戦略」から発展させる者が、真に「お金に困らない」=「信用増大」=「信頼と実績」。
お金は物ではなく、対価。
記事:羽田野正法
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