【ビジネス・社会コラム】 国内でイノベーション(革新)が叫ばれている。「イノベーションを起せ。」「イノベーションをしろ。」と。だがイノベーションは容易くない。それ自体は理解をしているだろうか。断じる。
イノベーションは、常人では不可能である。それが故にイノベーションである。
イノベーションは量産できるものではない。イノベーションを起せる者を「イノベータ(革新者)」という。スタンフォード大学の社会学者であるエヴェリット・ロジャース(辛未)は、「イノベーター理論」で提唱した。マーケティングの分野で大変よく使われる理論だ。これによれば、イノベータは全体の二.五㌫しかいない。彼等は新しい物を進んで採用し、自身の価値観は社会の価値観と合わないと思っている。ここはポイントだ。
圧倒的多数(マジョリティ)は普通であり、社会的であり、常人だ。彼等にイノベーションを起す事は不可能である。何故ならば、社会性を重んじるからだ。イノベーションを起すには、非常人、非常識である事が普通の感覚の者が条件である。まともな者にイノベーションは起せない。では、イノベーション自体は何なのかを、世界に名だたる三名を挙げて、改めてみていこう。
<イノベーションとは>
イノベーションを世界で最初に定義づけた者は、経済学者のヨーゼフ・シュンペーター(癸未)。初期の「経済発展の理論/岩波書店」では、イノベーションを「新結合」と表現。シュンペーターの理論ではイノベーションは五つに分類される。
- 新しい財貨の生産
- 新しい生産方法の導入
- 新しい販売先の開拓
- 原料ないし半製品の新しい供給源の獲得
- 新しい組織の実現(独占やその打破)
次に社会学者で世界的に名高い経営コンサルタントのピーター・F・ドラッカー(己酉)は、「マネジメント 下/ダイヤモンド社」でイノベーションを以下の様に定義づけた。他にも「新しい満足」とも記している。
イノベーションとは姿勢であり、行動である。特に、それはトップマネジメントの姿勢であり、行動である。イノベーションを行なう組織では、トップマネジメントの役割が違う
最後にハーバード・ビジネス・スクール教授のクレイトン・クリステンセン(壬辰)は、「イノベーションのジレンマ/翔泳社」でイノベーションを「持続的イノベーション」と「破壊的イノベーション」に分類した。前者は従来の改良で、後者は従来の価値を破壊するかもしれない全く新しい価値を生み出す事だ。
シニアの気概の無さが原因
この三名をまとめる。イノベーションとは、まだ見ぬものを新たに結合し、価値を無から創り出し、顧客に新しい満足を与え、今ある市場を破壊的に再構築すること、となる。トヨタの改善は、持続的イノベーションだ。日本が求めているものは、破壊的イノベーションだ。ならば、日本の大組織は破壊的イノベーションが起きる巣となっているだろうか。そもそもシニアに破壊的イノベーションを起す気概なぞ、あるだろうか。常識的に考えれば、若き者が破壊的イノベーションを起す。シニアより若き者にイノベーションを期待する方が確からしい。
さすれば、若き者が活躍できる組織であろうか。大人しく言う事を聞かない者の所属を許しているだろうか。その者を自由に仕事させているだろうか。破壊的で意味不明な発言や行動を許容しているだろうか。そういった者は百人に二人、五十人に一人はいる計算になる。彼らを組織は活かすどころか、阻害していないだろうか。
なんてことは無い。破壊的な若き者の責任をとる気概のあるシニアがいないだけだ。
その組織に甚大な利益をもたらす者は、常人からみて謎だ。そんな謎の若き者を日本は殺してきた。彼らの能力「イノベーション」の芽を摘んできた。優れた高等教育を誇る日本でイノベーションが起きない理由は、シニアの無難論だ。無難の先にイノベーションが無い事ぐらいは分かるだろう。
ドラッカーの言う様に、「それはトップマネジメントの姿勢である」。今のままでは、日本には破壊的イノベーションは起き得ない。
では、シニアが責任をとる時代になった時に、キチガイとも見做されるイノベータが動く。
その影響力は恐らく世界クラスとなり、日本が誇るだろう。
記者:羽田野正法
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