【社会報道】 令和三年四月二十日に東京地裁にて『印西市長選挙における立候補届不受理に関する国家賠償請求事件判決』が下された。原告は「NHK党(党首:立花孝志)」の公認だった栗飯原美佳。被告は印西市(市長:板倉正直)。
令和二年七月当時、二十四歳だった美佳が同市長選挙にて選挙期日で二十五歳に満たない事を理由に選挙長が「候補者届出書等」を不受理とした。この不受理を原告の「公職の候補者になる権利(自由な政治主張)」の侵害であり、違法と提訴。印西市に対して『国家賠償法』一条一項(下記)に基づき、慰謝料等の支払いを求めた。
国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えた時は、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる
裁判長・藤澤裕介、裁判官・多田尚史と同・川畑百代による判決は、原告の請求を棄却。
地裁は「被・選挙権を有しない事が一義的に明らかな場合には…選挙長において、当該立候補の届け出を不受理とする事は相当であり、同届出を受理すべき義務を負うものと解する事はできない。」と断じた。本件における「不受理の違法性を基礎付ける事はできない。」とした。
また原告は、自らの政見を宣伝する権利が制限されたので、『憲法』二十一条一項(表現の自由)に違反すると主張。これに対し、地裁は「(A)同条項が、公職の候補者という立場で、選挙において自らの政見を訴える機会までを保障するものではないから、理由が無い。」と断じた。
満二十五歳の設定については、「その職責や権限からして、相当の知識や豊富な経験を必要とする事等」より、一定の合理性が認められるとした。
<憲法を軽んじる地裁>
当日、本判決に対して立花党首(丁未)は「自分の政治的考えを選挙という場でポスタを貼ったり、演説をしたり、その表現の場を奪う必要性がどこにあるのか。」と表現の自由、特に政治に対する表現の自由の重大さを訴えた。
地裁の上述Aに対して「どこにそれが書いてあるんですか。」と問い、判例等が無い点より、「この人(裁判官)達が作ったんです。表現の自由は最大限、尊重されなければいけないんでしょ。憲法だから。」と反論した。
美佳と立花党首は「当選する権利」と「公職の候補者になる権利(自由な政治主張)」を明確に分けており、前者では争ってない。あくまでも表現の自由に基づく政治主張を展開しているだけだ。地裁の判決は、両者を混同している様にも見受けられる。後者を否定した今回の判決は、法的に曖昧であり、恣意的と言わざるを得ないだろう。何より、今回の裁判官の三名は憲法を軽んじている。
美佳は控訴し、第二審で法廷闘争する見込み。控訴期間は、第一審判決正本の送達日の翌日から起算して二週間。
行政の見解
上記は司法だが、行政の見解はどうか。昨年に二〇二臨時会にて同党・浜田聡(丁巳)参議は質問主意書「被選挙権と公職の候補者になる権利の違い」を提出。菅義偉(戊子)内閣総理大臣が以下の様に答えた。
最高裁判所の判例に依れば、「公職選挙法の規定に依れば、選挙長は、立候補届出及び推薦届出の受理に当っては、届出の文書につき形式的な審査をしなければならないが、
候補者となる者が被選挙権を有するか否か等実質的な審査をする権限を有せず、被選挙権の有無は、開票に際し、開票会、選挙会において、立会人の意見を聴いて決定すべき事柄であると解するを相当とする。」とされている(昭三十六年七月二十日最判)
と承知しており、形式的審査により、立候補の届出書の生年月日の記載から、明らかに選挙の期日において被選挙権を有しない事を知り得る場合は受理すべきでないものである。
被選挙権年齢に達しない者の立候補の届出は受理すべきでない
と満二十五歳未満の届出を不受理の見解。しかし、「公職の候補者になる権利(自由な政治主張)」については触れておらず、あくまでも「当選する権利(被・選挙権)」についてのみ触れている。更に行政は、両者の違いが現段階で不明瞭である点を以下の様に認めた。
「被選挙権と公職の候補者になる権利(立候補の届出を却下されない権利)の違い」の意味する所が必ずしも明らかではない
非常に高度な法の問題が令和に炙り出された。「公職の候補者になる権利(自由な政治主張)」につき、最判が無い以上は法的を以て明瞭にすべきであろう。若者にとっての最重要の権利「自由な政治主張」が現状では根拠条文等がなく、制限されている。
画像:粟飯原美佳さん22歳が日本国を相手に裁判所に提訴しました。選挙に立候補できないのは憲法違反だ!/YouTube、三権分立って何?/総理大臣官邸
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