昭子参院議長の追悼の辞|『全国戦没者追悼式』終戦の日

【政治報道】 皇紀二六八一(令和三)年に日本国政府は、北の丸「日本武道館」にて『全国戦没者追悼式』を開催した。「大東亜戦争」の戦没者数は三百十万人(軍人等;二百三十万人、民間;八十万人)。


「太平洋戦争」は米国側の呼称。昭和十六年十二月に枢密院にて「今次ノ対米英戦争 及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ 生起スルコトアルヘキ戦争ハ 支那事変ヲモ含メ 大東亜戦争ト呼称ス」と東條内閣は閣議決定した。


三権の一角・立法府の長の一人である・山東昭子(壬午)参議院議長は追悼の辞を述べた。参議院は、国会閉会中である十九日に参院「内閣委」が開会。内閣の重要政策・警察等に関し、政府に対して質疑を行った。



 十五日の終戦の日に昭子議長は「本日ここに、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式が執り行われるに当たり、参議院を代表して謹んで哀悼の誠を捧げます。


今年もまた、祈りの夏を迎えました。数多の命を奪い去っていった戦争が終わって七十六年。犠牲となられた一人ひとりに夢や希望があり、愛する家族がいました。戦争によって過酷な運命を余儀なくされた方々のご無念、悲しみは何度この日を迎えても、とても言葉で言い尽くせるものではありません。


人の記憶は、時の流れの中で少しずつ淡くなっていきます。七十八年前の今日を福島県伊達郡の疎開先で迎えた私にとっても、当時の情景は、徐々に朧気(オボロゲ)になってきました。


然し、戦争の記憶をこのまま遠い歴史の一部にしてはなりません。残念ながら、新型コロナウイルス感染症により、国内外の人々が各地の平和資料館等を訪れる機会が減っております。それでも、私達は、戦争で何が起きたのかを後世に伝え、一人ひとりの平和への強い思いを、着実に引き継いでいかなくてはなりません。それが、今を生きる私達の使命です。


国会議員として凡(オヨ)そ四十年間活動し、私は自らの意見に責任を持ち、相手の主張に敬意を払い、議論を重ねて相応しい結論を導くという地道な努力の先に、世界の平和がある事を確信するに至りました。民主主義の理念の下に、揺るぎない平和を築ける様、力の限り尽くしていく事を、ここに固くお誓い申し上げます。


結びに、戦没者の御霊(ミタマ)の安らかならん事をお祈り申し上げると共に、御遺族皆様方の御平安を心より祈念致しまして、私の追悼の言葉と致します。」と述べた。



戦後から七十六年が経過した。


記事:金剛正臣 撮影:岡本早百合

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