終戦記念日に省みる幸せ

【論説】 昭和二十年八月十五日の正午に玉音放送が流れ、この日は終戦記念日となった。明治から始まった八十年近くに及んだ富国強兵による近代化に一つの終止符が打たれた。大東亜戦争では、三百十万人(政府発表)が戦没者となった。終戦から七十年を超え当時の記憶が年々に薄くなってきている。報道機関をはじめ日本国民は事実を、その日に再認識する必要がある。何故ならば彼らなくば、今の自身は存在しないからだ。


我々は往々にして過去を忘れる。現代の日々の忙殺性は増し、より過去を顧みなくなってきている。自身のルーツを知らなくば、自身が何者であるかさえもあやふやになってしまうだろう。父と母がおり、祖父と祖母がおり、曾祖父と曾祖母と時代は遡る。その時代毎の日本人が生きてきたからこそ、我々が今日、存在している。終戦記念日は弔慰の意及び感謝の意を表する日。



 その当時、東京は百回超の空襲を受けた。史上最大の大量虐殺ともいわれる。この時の都民の幸せとは何だったのだろうか。今と同じだろうか。東京以外の都市でも空襲を受けている。広島や長崎の県民の幸せは何だったのだろうか。戦後の焼け野原から復興に邁進する前、生活さえも儘ならない日常での幸せは何だったのだろうか。その当時、生活を確保し、復興へ邁進する。その後、高度経済成長を経てバブル景気に入る。


全ては祖先の努力の賜物であろう。戦時中の前線にも祖先はいた。西太平洋ソロモン諸島・ガダルカナルに配属された祖先の幸せは何だったのだろうか。ロシアの極寒の地・シベリアで抑留された祖先の幸せは何だったのだろうか。今の幸せと同じだろうか。現代に生きる我々は過去を忘れやすい。我々は当時、頑張った祖先達のお陰で、今日も食事にありつけ、屋根のある家で平和な日々を送れる。祖先からみれば、十二分に幸せではなかろうか。


終戦記念日は個々人のルーツである過去を顧みて、エゴを反省する日でもある。


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