昭和天皇の終戦『玉音放送』全文|皇紀二六〇五(昭和二十)年八月

【日本考察】 天皇陛下が日本臣民ないし国民へ向け、お言葉をお述べになられた事は、令和四年の今上天皇の新年ビデオメッセージを含めて四回しかない。


  1. 昭和天皇『玉音放送』
  2. 上皇陛下『生前譲位』
  3. 天皇陛下『新年ビデオメッセージ(二回)』



お言葉をお述べになられる際に終戦『玉音放送』を踏まえない事は、あり得ない。玉音放送は、皇紀二六〇五(昭和二十)年八月十四日に「大東亜戦争に関する詔書」として発布された。


原文は片仮名表記。一部難解な漢字は現代で使用する漢字へ換え、送り仮名等をふった。


大東亜戦争に関する詔書『玉音放送』

 朕、深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なる爾(ナンジ)臣民に告ぐ。


朕は帝国政府をして米英支蘇・四国に対し、その共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。


そもそも帝国臣民の康寧を図り、万邦共栄の楽みを共にするは、皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々おかざる所。先に米英二国に宣戦せる所以もまた、実に帝国の自存東亜の安定とを庶幾するに出で、他国の主権を排し、領土を侵すが如きは、固(モト)より朕が志にあらず。



然るに交戦既に四歳(四年)を閲(ケミ)し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、おのおの最善を尽くせるに拘わらず、戦局必ずしも好転せず、世界の大勢また我に利あらず。


しかのみならず敵は、新たに残虐なる爆弾(原子爆弾)を使用して、しきりに無辜を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。


しかも尚、交戦を継続せんか、終(ツイ)に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延いて人類の文明をも破却すべし。かくの如くは朕、何を以てか億兆の赤子を保(ホ)し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。これ朕が帝国政府をして、共同宣言に応じせしむるに至れる所以なり。




 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。帝国臣民にして戦陣に死し、職域に殉じ、非命に斃(タオ)れたる者、及びその遺族に想いを致せば、五内(ゴダイ、五臓)為に裂く。且つ戦傷を負ひ、災禍を蒙り、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(シンネン)する所なり。


惟(オモ)うに、今後、帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。爾臣民の衷情も朕よくこれを知る。然れども朕は時運の赴く所、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す




 朕はここに国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在り。もしそれ情の激する所、みだりに事端をしげくし、或いは同胞排擠、互いに時局を乱り為に大道を誤り、信義を世界に失ふが如きは、朕最もこれを戒む


宜しく挙国一家、子孫相伝え、確(カタ)く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念(オモ)い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を堅くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらん事を期すべし。爾臣民それ克(ヨ)く朕が意を体せよ。


 昭和天皇は主権者として、戦後に臣民に求める事を直にお伝えになった。戦後の荒廃からの復興は、尋常ではない苦難であるが、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」、その後の未来の平和を望まれた。


当時の日本人は、これを実現。戦後の荒廃から世界第二位の経済大国まで伸し上げた。


令和の現在は確かに物質が豊かであるが、本当に平和なのだろうか。特に若き者の心は太平・平和なのであろうか。現状を視るに懐疑的にならざるを得ない。ならば、今一度、昭和天皇の詔を知るべきである。


太平の日本を建設すべく、正義の心を強くし、大志を堅め、日本の本当に良い所を高く掲げていく。


記事:金剛正臣

画像:国立公文書デジタルアーカイブ



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