【政治コラム】 五年前、東の第三極として勢いがあった旧みんなの党。政界再編を目指し、渡辺喜美が初代の代表を務めた。今は参議。平成二十九年十月一日に総選挙(十月二十二日)へ参院から衆院への鞍替えをしない旨が報じられた。理由は希望・百合子代表からの参院再編要請と選挙への準備不足という。
渡辺派だった行田邦子 参議は既に希望へ入っており、同党の設立発表でMCを務めた。渡辺派だった日本を元気にする会(元気)の初代の代表を務めた松田公太 参議(当時)は、自身のブログ「希望の党、最初で最大の経営判断」で希望の政策が元気と近しい点を九月三十日に発信。松田の公式サイトは未だに政治色を維持する。先の都議選で都Fが第一党と躍り出た端緒をつくった音喜多駿 都議も渡辺派で、都議選では渡辺節をみせた。「政治を諦めないで下さい。」のフレーズは旧みんなの時から変わらず、想いの伝わる渡辺の口調だ。
<恐れ戦く>
彼等は今回の渡辺の報道を、どう受け止めるだろうか。渡辺の言う「政治そのものを変える事」は参議で実現が可能なのか。総理大臣は衆議が首班指名されるのに、衆議じゃなくて良いのだろうか。しかも十日公示の総選挙では、希望が渡辺の地盤である栃木三区に候補者を立てるという。渡辺は栃木三区で六回も当選し、幾度も衆議となった。年齢は百合子と同級の六十五歳。これから先は、ずっと裏方なのか。
渡辺は希望に入る明言もしていないのに、何故、百合子に配慮するのか。政治資金問題はあったが、栃木三区での信頼回復に何年も掛けてきたのではないか。風の百合子に栃木で負ける程度の事しかしなかったのか。年齢で考えるなら、次の総選挙ではなく今の総選挙だ。渡辺がリーダとして再起する最期の機会である。都Fでは愛弟子の音喜多が不遇に耐えている。渡辺派だった者もリーダの再起を待ち望んでいる。このまま女・百合子に牙を抜けれては、男・渡辺は情けない。
例え少数でも精鋭化して、「てこの原理」を使えば動くのではなかったのか。
撮影記事:金剛正臣
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