坂本龍一が語った映像と音の関係、「音楽の文法を壊していきたい。」と

【社会報道】 平成二十九年十一月一日に東京・六本木で開催中の「TIFF二〇一七」内で『第四回“SAMURAI”賞授賞記念 坂本龍一スペシャル トークイベント~映像と音の関係~』が行われた。会場は満席。作曲家、編曲家、音楽プロデューサでピアニストの坂本龍一(壬辰)教授は日本を代表する音楽家だ。


この九十分は濃かった。笑いも多かった。映画だけでなく映像や舞台に携わる関係者は要受講の内容であった。画と音との関係性を教授は「良い映画って音楽が必要ないんですよね。」と、まるで自身の職業を否定するかの様な発言が出た。これに関しては後述。


イベント自体は教授が音楽を創った映画「戦場のメリークリスマス(一九八三、英国アカデミー賞)/ 松竹、松竹富士、日本ヘラルド」「ラストエンペラー(一九八八、グラミー賞)/松竹富士」「レヴェナント:蘇えりし者(二〇一六、ゴールデングローブ賞)/20世紀フォックス」「リトル・ブッダ(一九九四)/東宝東和」の四作品を振り返った。



<目覚めたら譜面>

 教授が映画音楽と俳優を初めて経験した作品が「戦場のメリークリスマス」。大島渚(壬申)監督に出演のオファを貰った際に「音楽をやらしてくれるなら出ても良い。」と、つい口にしてしまった事が切っ掛けで教授の映画音楽に関する歴史が始まる。生まれて初めて映画の演技をして音楽を創る事を許諾した大島監督を「とても勇気のある方だ。」と称賛。それまでは映画に音楽を付ける事を考えた事が無かったという。正に運命の作品だ。


教授が初めて映画の音楽に感動した作品は伊「道(一九五七)/イタリフィルム、NCC」。フェデリコ・フェリーニ(庚申)監督の代表作である。他にも仏伊合作「太陽がいっぱい(一九六〇)/新外映配給」と英「第三の男(一九五二)/東宝東和」を挙げた。当時の日本では洋画のテーマ曲がラジオから流れていた。今の様に米ハリウッド一辺倒ではなく、欧州の映画も多かった。


話しは初映画音楽に戻り、粗編集の状態に音楽を入れる箇所を決める作業を教授が行った所、監督と九割以上も一致した為、丸投げされた。教授はテーマから考えた。理詰めで二週間。鍵盤に向い教授は、ふと意識を失ってしまった。「目が覚めたら譜面がある。」と奇怪な現象が起きた点を話し、あの著名な音楽を「自分で創った気がしないんですよ。」と回顧。次にサブテーマを考えた。


会場では参考に同作のワンシーンが上映され、教授は「音楽が切り張り的。」と三十年経た今の目線で「面白い。変わっているなあ。」と評した。切り張りとは画に対して個々の音を当て、全体としてスムースな音の流れになってない事を指す。



音楽と効果音

 「ラストエンペラー」では、オケが中心の音楽だ。その理由をベルナルド・ベルトルッチ(辛巳)監督にシンセサイザを却下された為と話した。本当はシンセで創りたかった。態々、英ロンドンまで東京の機材を持っていってプレゼンしたが駄目であった。当時、四十五曲も創ったが採用されたのは半分程度だった。特に戴冠式のシーンでは、曲を「バサっと斬られた。イントロだけ使われた。」と酷く傷心した模様。やや恨み節であったが、「監督は駄目出しするもの。」と主従の関係を呑み込んだ。


ここで冒頭の「良い映画って音楽が必要ないんですよね。」が出た。映画と音楽の関係性についての議論が始まる。「映像に力のあるものは、音楽必要ない。」と言い切る。映画において音楽は補完的な役割が大きいとする。その理由を「音楽は一定のテンポ。」と述べた。映画は監督のセンスにより、編集のテンポが変化する。その点を教授は「映画にとっては邪魔になる事が多い。」と悟る。だが「なるべく映像と音楽が対等になる様に創りたいですね。」と希望は捨てない。


また効果音についても言及。「音楽と効果音は、よく喧嘩する事が多い。」とするも、例外的に「怪談(一九六四)/東宝」の様に音楽と効果音が一つの音になっている事実を伝えた。同作の音楽は独学で学んだ武満徹(庚午)が担当した。武満は映画以外に演劇やTV番組も手掛けた。同作のワンシーンが上映され、教授は「映像が無くても。」と効果音を含めて一つの楽曲になっている点を指摘。また効果音をシンクロさせたり、ズラしたりする手法も興味深かった。



映画監督の課題

 「レヴェナント」のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ(癸卯)監督とは、「コンフリクト(争い)だらけだった。」と眉間に皺を寄せた。半年ほど掛けて考え、最後は監督に合わせた。同作の音楽を教授は「音楽にしない。」と劇中の自然を主役と捉え、自然に溶け込む様に創った。教授は監督との主従関係を再び持ち出し、「大変だよね。仕事はね。」と来場者に目を向けた。


「リトル・ブッダ」では五回も書き直した。ベルトルッチ監督の後から増えた注文に対し、「本当にキレた。」と戦時中の軍を例に、かなり詰めた模様。同作での音楽は仏教の輪廻を意識し、般若心経をオペラの様に創った。だが当該シーンを見た教授は以前の自身に対し、「分かってないな。」と駄目出しをした。


最後に「監督(という人)は本当に残酷ですよ。平気で(音楽を)切ったり、ズラしたり。」と、渾身を込めて創った数々の曲へ哀悼の意を捧げた様であった。まるで曲を我が子の様に扱う教授の表情には、そういった哀愁が漂った。これは映画監督の課題でもあるだろう。


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監督は狂人

 QAでは教授がメガホンを取るかの問いに、「彼等(監督)は一種の狂人なんですよ。性格異常。(映画に対する)好きの度合いが全く違う。人生を懸けてるし。異常度が強いというか。」と言い表わし、「(僕は)才能が無い。才能が無い人が創っちゃ駄目だと、重々戒めている。自分に。」と謙遜した。


続けて「戦場のメリークリスマス」に出演したビートたけし(丁亥)が監督の道を歩み、大島監督に「何故、やらないんだ。」と問われた教授は「僕は才能が無いですから。」と答えたものの、「お前は卑怯だ。卑怯者。」と強く怒鳴られた。流石に教授も驚いた様で「卑怯者呼ばわりされちゃったら、一寸ね。」と苦笑いした。大島監督はよく怒った。


次に音楽の可能性について問われた。「音楽っていうのは、かなり抽象的なもので。数学なんかに近い。在り方として。」と概念を答え、音楽の現代的生産性の考えに同意はしなかった。モデレータを務めた「早大」文学学術院の小沼純一(己亥、写真上)教授は「数字には還元できない何か。何でも数字で換算してしまう発想が貧しい。」と的を射た。



遺産を滋養に育つ

 若い女性からは教授の何を後世に残したら良いかを問われた。教授は答える前にテーゼを放った。「面白いのは聴いている音楽とか、読んでる本とか、皆亡くなった人達ですよ。亡くなった人達の遺産っていうのかな、そういったものを滋養にして育ってきている。」と、過去に生きた人の創りしもの在りき故に現在の自身達が象られている点を説いた。これは“過去の蓄積を知らなくば、人は人足り得るのか”というテーゼである。そして教授の答えは「後世為に皆考えてないんじゃないかな。皆割りと目先の興味で。」と、ものつくりの職人の特徴を踏まえた。


締め括りに音楽は映画等と役割毎の顔がある旨を伝え、「音楽の文法を壊していきたい。強く最近はそう思っている。」と、映画の影響を受容して野心を示した。更に教授は先日、コンペを実施し七百超のショートフィルムを集めた(公式HP)。


尚、イベント後にドキュメンタリ映画「Ryuichi Sakamoto:CODA」の舞台挨拶を行った。三月には八年振りとなったソロアルバム「async/commmons」を発表した。来年一月二十七日には『坂本龍一 PERFORMANCE IN NEY YORK:async/ライブ・ビューイング・ジャパン』が全国公開される。


撮影記事:金剛正臣

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