馬鹿を量産する日本、読解力の低下の責任

【社会考察】 日本の中高生の読解力(リーディング スキル)が危機だ。日本語の文章を読んでも分からない、何を問われているのかが分からない。日本語の文章が理解できないのだから、傾聴力(リスニング スキル)と発言力(スピーキング スキル)も危うい。読む・聴く・話すが劣っていれば、コミュニケーションのレベルが低くても致し方ない。


詰まり、日本人なのに日本語ができないのだ。理由は社会のスラング化である。日本語ができないのだから英語等の外国語習得もできない。日本語ができないのだから数学・理科・社会もできない。大学は全入時代に入っており、最上位以外の大学はレベルを格段に落としている。当然に大学の講義は分からない。社会人になっても上司や取引先とのコミュニケーションは望めない。正に人生の致命傷だ。



<各種調査で露呈>

 今回は読解力に焦点を当てる。朝日新聞は平成二十九年十一月七日に記事「教科書の文章、理解できる?中高生の読解力がピンチ」を配信。国立情報学研究所の調査「リーディング スキル テスト」を挙げ、中高生の読解力の低さを報じた。


アイティメディアは二十八年十一月二十一日に記事「東ロボくん開発者が危機感を募らせる、AIに勝てない中高生の読解力」を配信。同研究所の成果報告会「ロボットは東大に入れるか」でAIは問題の意味を理解してないにも関わらず、八割の高校生がAIに破れた事を伝えた。


二十七年の経済協力開発機構による「OECD生徒の学習到達度調査(PISA)」では、読解力が前回の平均点より二十二点も下がった。調査対象は調査開始時に、十五歳三ヶ月から十六歳二ヶ月の生徒(学年不問)。二十七年分が最新である。


メディア教育開発センタ(現 放送大学)の招待論文で小野博は「内外のリメディアル教育におけるICTの活用の現状と展望」で大学生の日本語力の低下に触れている。


質問項目に「イエス」か「ノー」で答える検査であったが,回答が進まない学生がいた。教員が「分からない『ことば』があったら何でも聞きなさい」と促すと,学生の手が上がった。
「『怠惰な方』とはどういう意味ですか」「『まごまごする』とはどんなことですか」という質問だった。教員は分かりやすく説明した。

だが,次に出た質問に教員は驚かされた。「初対面の人と話をするのは骨が折れることです」との質問項目について,「先生,どうして人と話をするだけで骨が折れるのですか?」と聞いたというのである。教員は「日本人大学生もここまできたか。日本人も日本語を勉強しなければならない時代になった」と感じたという



同じくセンタの報告として平野秋一郎は「大学のオンライン学習の進展のために」で「文章を書かせても日本語になっていない」との教員の声を挙げている。



子どもより大人に教育

 一重に学生達は馬鹿になっている。理由は冒頭で挙げた社会のスラング化である。義務教育の教諭がPTA等を気にして萎縮し、多忙である点は周知であろう。無難、無難にクラスで一番学力の低い生徒に合わせて授業を進める。高校の教諭は大方が塾の補完的ないし形式的存在に成り下がっている。大学の教授は中高、下手すれば小学クラスから教えていく。先生と生徒をフラットにした結果、先生の言葉に重みは無く、体罰は減ったが馬鹿になる生徒が統計的に増えた。


友人とのコミュニケーションはLINE等が基礎。文章どころか、日本語ではない表現でやり取りされる。例えば了解を意味する「り」等。友人間で堅苦しい日本語の文章で会話する事は、現代では皆無か。学生運動があった頃の三島由紀夫と東大全共闘の討論は、今は見る影も無い。


一方の家庭では、どうだろうか。親は適正な日本語を使用しているだろうか。例えば「できてない」。これは何を意味するのだろうか。説明ができるだろうか。普通は「できた」か「できなかった」だ。「宿題ができてない」ではなく、「宿題をしてない」だ。特に子は母親の言葉を覚えやすい。母がスマホを見ながら子とスラングで会話していれば、子はスマホを持った時に真似をする。会話は相手の顔・目を見て行う事を身をもって教えていない。


職場では、どうだろうか。「見える化」でななく「可視化」。敬語が可笑しい者も多い。「です」「ます」の二重使用。「宜しかったでしょうか」ではなく、「宜しいでしょうか」等。助詞の使い方を間違っている事もしばしば。読点「、」の使い方が異様な記事も散見される。何かを並列に繋げる際に使用する「や」「と」。この後に読点は打たない。読点は本来、句点「。」を打てる文章に同じく句点を打てる文章を繋いだり、読み易くする際に打つものだ。前者は英語の関係代名詞等に近似。「名詞や、名詞」「動詞と、動詞」では二重に区切りを打っている事になる。明らかに間違いだ。


ここまでで、ある程度は推察できるであろうが、根源は子どもではなく大人だ。大人も日本語(語彙力・読解力)をテストした方が良い。朝日新聞とベネッセが共同開発した「語彙・読解力検定」で個人や法人が受験できる。平仮名の多用を施している大メディアにも責任の一端はあろう。読む・聴く・話す、これらができない者は社会で孤立していく事を容易に想像できる。


記事:羽田野正法

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