【日本報道】 天皇陛下(庚子)は、皇紀二千六百八十二(令和四)年二月二十三日に六十二歳におなりになられた。皇嗣同妃両殿下や三権の長等から祝賀をお受けになられた。
二十一日には記者会見にお臨みになられた。
Q1 印象に残った出来事
A1 この一年も新型コロナウイルス感染症が猛威を振るいました。亡くなられた方々に深く哀悼の意を表しますと共に、家族・友人等、大切な方を亡くされた多くの方に心からお見舞いを申し上げます。
感染症の影響により仕事を失ったり、苦しい生活状況に陥る人、孤立を深める人も多く、心が痛みます。医療従事者の皆さんは、自らの感染の脅威に晒されながら強い使命感を持って、昼夜を問わず、最前線で患者さんの命を救う為の尽力をされています。また、罹り患した人々を適切に医療現場に繋ぐべく、同様に尽力されている救急隊や保健所等の関係機関の皆さんの御苦労も如何許りかと思います。
そして、このコロナの状況下で、支援を必要としているお年寄りや障害のある方、生活に困窮している方や生活困窮世帯の子ども達等、社会的に弱い立場にある人々を支え、その命と暮らしを守る為に力を尽くされている方が多くいる事やエッセンシャルワーカーの皆さんが多くの人の日々の生活を支えていてくれる事も有り難く思っています。
これら多くの方々に心からの感謝の気持ちを伝えたいと思います。
長引く感染症の感染拡大への対策を継続する事は、大きな努力を要します。親しい人との直接的な接触を避け、暮らしの隅々にも注意を払う様、自らのできる範囲で感染の拡大防止に努めている人も多くいると思います。こうした国民の皆さん一人ひとりの努力を深く多と致します。
長く困難な状況が続いておりますが、今暫く、誰もがお互いを思いやりながら、痛みを分かち合い、支え合う努力を続ける事により、この厳しい現状を忍耐強く乗り越えていく事ができるものと固く信じております。
昨年は「東京二〇二〇オリンピック・パラリンピック競技大会」が開かれました。新型コロナウイルス感染症の感染拡大という困難な状況の中での開催となりましたが、大会を無事に終える事を可能にした運営スタッフ、ボランティア、医療従事者、警備担当者等、多くの関係者の尽力に敬意を表したいと思います。
私達もそうでしたが、参加した選手一人ひとりが力を尽くして競技に臨む姿から新たな希望と勇気を見出された方も少なくなかったのではないかと思います。
また、参加国の選手同士がお互いの健闘を称え合う姿や、例えば女子バスケットボールの表彰式の後で、日米仏三ヶ国の選手全員が自然に入り交じって記念撮影に臨む姿等、国境を越えた選手同士の交流が各所で見られた事にも感慨を覚えました。
この度の北京での「冬季オリンピック」でも選手同士の心温まる交流を目にしましたが、その様な光景を見ながら、私は五十年前の「札幌冬季オリンピック」での七十㍍級スキージャンプで金メダルを取った笠谷幸生選手の健闘を称えて笠谷選手を肩車したノルウェーのインゴルフ・モルク選手の姿を懐かしく思い出しました。
国と国との間では、様々な緊張関係が今も存在しますが、人と人との交流が国や地域の境界を越えて、お互いを認め合う平和な世界に繋がって欲しいと願っております。
昨年も現在人類が直面する最大の課題の一つとして、気候変動問題に関心が集まりました。その解決に向けては国・企業・研究機関・一般の人々等、幅広い関係者が手を携えて脱炭素社会の実現に取り組まなければなりません。その事は時として、乗り越え難い壁の様にも見えますが、近年においても我々はこの様な課題に挑戦してきました。
例えば、平成初期には、地表に降り注ぐ紫外線を増加させる「オゾン層の破壊」が地球環境問題として真っ先に挙げられる課題でしたが、数十年に及ぶ国際的な連携・協力やその下でのフロン回収技術等の企業の技術革新、消費者の理解と協力等により、早い地域では二〇三〇年代にはオゾン層が一九八〇年の水準にまで回復する、との見通しを国連の専門機関が示す程、状況が改善していると聞きます。このオゾン層の回復は、地球規模で対策に臨んだ環境問題の改善の好事例として、気候変動対策に向けた努力が始まりつつある中で勇気を与えてくれるものです。
そのような中で、昨年、眞鍋淑郎博士が、温暖化予測にも用いられた気候モデルの開発を評価され、ノーベル物理学賞を受賞された事を喜ばしく思います。こうした、これまでに蓄積してきた知見も充分に活かしながら、各国・地域の関係者や一般の人々が協力して対策を進めるべく努力を続ける事で、気候変動問題が改善していく事を心から願っています。
「東日本大震災」の発生から間もなく十一年を迎えます。この震災により、二万人を超える数多くの方が亡くなったり、行方不明になったりした事は、今思い出しても深く心が痛みます。その後の復興の過程で、人々の生活や産業を支える社会基盤の整備等は進んだものの、精神的なサポートを必要とする人が近年になってむしろ増えていると伺う等、本当の意味での復興はまだ道半ばにあるものと思います。
私は雅子(癸卯)と共に、引き続き被災地に心を寄せていく積りです。思い返せば、東日本大震災直後には、現地に駆けつけたボランティアに多くの被災者が勇気付けられたものと思います。海外の多くの国々からも支援物資等が届けられ、ボランティアが被災地に駆け付けてくれました。
先月の海底火山の噴火による被害が伝えられるトンガの皆さんからも、その時、様々な支援を頂いた事は記憶に新しい所です。その時の感謝の気持ちは、今尚、色褪せるものではありません。ここに改めて、この度のトンガの噴火により被災された方々に心からのお見舞いをお伝え致します。
東日本大震災の発生と同じ平成二十三年、トルコで起きた震災に日本から支援活動の為に赴いていた宮崎淳さんが、余震により残念ながら現地で亡くなりました。舗装道路等のインフラも十分でない被災地において、見ず知らずのトルコの人々の為に力を尽くし、亡くなったとして、当時のギュル大統領はトルコ国民の心を動かす献身的な活動をした宮崎さんをいつまでも忘れない、と上皇陛下(癸酉)に親書を送られました。そして以後、トルコの各地で宮崎さんの名を冠した公園や学校が開設されているとの報道に昨年接した事も、トルコの人々の温かい気持ちと共に印象に残りました。
災害により困難な状況に陥った人々を助け様と尽力する災害ボランティアの精神は誠に尊いものです。日本の多くの人々が国内外で災害ボランティア活動に従事してくれている事に敬意を表したいと思います。
我が国では今後、幾つかの大きな地震の発生が予測されています。また、近年、大きな被害を齎す豪雨災害等が頻発しており、気候変動の影響により、今後、気象災害のリスクは一層高まる恐れがあると言われており、発災時に多くの人が助けを必要とする場面はより多くなると予想されます。
その為、私達一人ひとりが防災や減災の意識を高め、災害に対して自らの備えをすると共に、何処かで災害が起きた時には、一人ひとりが自らのできる範囲で被災した人々に寄り添い、その助けとなるべく行動できる様な社会であって欲しいと願います。
新型コロナウイルス感染症の影響により、国民の皆さんと広く直接触れ合う事が難しくなっている事を私も雅子も残念に思っています。それでもオンラインにより昨年三月、四月に東日本大震災被災三県を訪問して行った復興状況の視察を始め、全国各地をオンラインで訪問する事により、現地の方々のお話を伺い、交流する事ができた事は私達にとって意義深く有り難い事でした。
例えば五月の「こどもの日」に因み、熊本県の阿蘇山の麓にある高森町と鹿児島県の離島である三島村の学校を半日の内に続けて訪問し、それぞれ特色のある地域の子ども達と交流できた事や第五回「国連水と災害に関する特別会合」に各国の研究者と一緒にオンラインで参加できた事は、オンラインの活用が感染症対策としての利点だけではなく、例えば複数の場所にいる人々に同時に会う事ができたり、離島や中山間地域等、通常では訪問がなかなか容易にできない地域の人々とも比較的容易に、しかも臨場感を持って交流する事ができるという利点と可能性がある事を改めて実感させてくれるものでした。
様々な場所を実際に訪れ、現地で多くの人々と直接お話しをしたり、同じ体験を共有したりしながら、その土地、その土地の雰囲気を肌で感じる等、実際の訪問でなければ成し得ない部分はあるものの、感染が収束しない現状では、オンラインは国民の皆さんや世界の人々と私達を結ぶ上で、有効な手段と考えられます。
オンラインなりの課題もあるかもしれませんが、状況に応じた形で引き続き活用する事ができればと思っています。
また、感染収束後もオンラインを活用する事が適当な場合には、その活用も視野に入れていきたいと思います。新型コロナウイルス感染症の影響により、現在は様々な形の交流が難しく、直に会って人と人との絆を深めたり、繋がりを広げたりする事が容易ではない状況が続いておりますが、その様な中にあっても皆がお互いの繋がりを大切にしながら、心に希望の火を絶やさずに灯し続け、更には、国や地域の境界を越えて人々や社会が繋がり、お互いを認め合い、支え合える年になって欲しいと願っています。
上皇陛下には昨年暮れに米寿を迎えられ、上皇后陛下(甲戌)には今年米寿を迎えられる事を喜ばしく思います。昨年十二月と今年の元日に、久し振りに両陛下に私達二人揃ってお会いできた事を嬉しく思っております。また日頃より、私達や愛子(辛巳)を温かくお見守り頂いております事を有り難く思っております。両陛下には、新型コロナウイルス感染症の感染拡大にお心を痛められつつ、日々を送っておられる事と拝察致します。
これからも、お身体を大切に末永くお健やかにお過ごし頂きます様心よりお祈り申し上げます。
Q2 皇后陛下と愛子内親王殿下
A2 雅子は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による活動への制約等から、体調を整え難くくなっている面はありますが、種々の工夫や努力を重ねながら、幸いにして都内での式典やオンラインによる各地への訪問、新年ビデオメッセージ等に一緒に臨む事ができました。
養蚕については、昨年、より多くの作業に取組む事ができ、楽しみながら作業をしている様子を見て私も嬉しく思いました。
また、皇居への移転に伴い、生活環境が大きく変わる中で、自分なりに公務と生活のリズムを整え様と懸命に努力していると思います。然しながら、未だ快復の途上で体調には波があり、大きな行事の後には疲れが暫く残る傾向にあります。これからも無理をせずに、できる事を一つひとつ着実に積み重ねていって欲しいと思います。
雅子は、また、私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であると共に、公私に亘り良き相談相手になってくれています。私も今後ともできる限り力になり、支えていきたいと思っております。国民の皆さんには、これまで温かく心を寄せて頂いている事に、改めて感謝の気持ちをお伝えすると共に、引続き雅子の快復を温かく見守って頂ければ有り難く思います。
愛子は、昨年十二月に成年を迎えました。成年に当たっての感想の発表や成年の行事に臨むに当たり、緊張もあったと思いますが、何とか無事に諸行事を終える事ができ、私達も安堵しました。
また、いつの間にか二十歳という年齢を迎え、大人の仲間入りをする事になった事を感慨深く思いました。日頃から多くの人々に助けられ、支えられているという事に愛子が感謝の気持ちを持っている事を親としても嬉しく思っています。
印象深い思い出については、学校の水泳の授業で小さい頃にはビート板を使ってプールで短い距離を泳いでいた愛子が、女子中等科時代、静岡県の沼津の海で三㌔㍍の遠泳ができる様になった時や中学の修学旅行で広島を訪れた際に強い衝撃を受け、平和への思いを文章にまとめた時等に成長を感じ、嬉しく思った事を覚えています。
愛子は一昨年大学生になりましたが、新型コロナウイルス感染症の影響により、授業にはオンラインでの出席が続いています。二年生になり、演習の授業での発表があったり、課題の提出等で忙しい毎日ですが、大学での勉学に一生懸命に取組んでいます。
私自身の大学生活を振り返ってみますと、気が付けばもう四十年位も前になりますが、大学では様々な人達と顔を合わせて授業を受けたり、放課後の部活動で一緒に参加したり、見ず知らずの人と学生食堂で隣り合ったり、新しい発見と経験の連続であった様に思います。
そういう意味でも愛子には、感染症が落ち着いて、いつの日かキャンパスに足を運べる様になると良いなとは思いますが、例えどの様な環境にあっても、実り多い学生生活を送る事ができればと願っています。
愛子は、家族との時間を大切にしてくれており、愛子と三人でいると、私達の団欒は笑いの絶えない楽しいものになっています。昨年も述べました通り、愛子には色々な方から沢山の事を学び、様々な経験を積み重ねながら視野を広げ、自らの考えを深めていって欲しいと願っています。
また今後、成年皇族として思いやりと感謝の気持ちを持ちながら、一つひとつの務めを大切に果たしていって貰いたいと思います。その過程で、私達で相談に乗れる事は、できる限りしていきたいと思います。
Q3 皇嗣殿下の第一女子
A3 眞子内親王(辛未)は、小さい時から姪として成長を見守っておりましたし、成年に達してからは、昨年秋、結婚により皇室を離れるまで様々な公的な活動に真摯に取組んでいた事を深く多と致します。
結婚について様々な意見がある等、結婚に至るまでの状況を踏まえ、「納采の儀」等は秋篠宮家の判断で、また「朝見の儀」等については、私の判断で執り行わない事となりました。今後、幸せな人生を歩んでいって欲しいと思いますが、同時に、この間、多くの方に心配をお掛けする事になった事を心苦しく思っています。
昨年も述べた通り、皇室の在り方や活動の基本は、国民の幸せを常に願って国民と苦楽を共にする事だと思います。そして、時代の移り変わりや社会の変化に応じて、状況に対応した務めを果たしていく事が大切であると思います。
皇室を構成する一人ひとりが、この様な役割と真摯に向き合い、国民の幸せを願いながら一つひとつの務めを果たし、国民と心の交流を重ねていく中で、国民と皇室との信頼関係が築かれていくものと考えております。
同時に、皇室に関する情報をきちんと伝えていく事も大事な事と考えています。週刊誌報道やインターネット上の書き込みについては、人々が自分の意見や考えを自由に表現できる権利は、憲法が保障する基本的人権として誰もが尊重すべきものですし、人々が自由で多様な意見を述べる社会を創っていく事は大切な事と思います。
その中にあって一般論になりますが、他者に対して意見を表明する際には、時に、その人の心や立場を傷付ける事もあるという事を常に心に留めておく必要があると思います。他者の置かれた状況にも想像力を働かせ、異なる立場にあったり、異なる考えを持つ人々にも配慮し、尊重し合える寛容な社会が築かれていく事を願っております。
Q4 皇位継承問題
A4 皇室の歴史を紐解くと、皇位が連綿と継承される中では、古代の「壬申の乱」や中世の「南北朝の内乱」等、皇位継承の行方が課題となった様々な出来事がありました。その様な中で思い出されるのは、上皇陛下が以前に述べておられた「天皇は、伝統的に国民と苦楽を共にするという精神的な立場に立っておられた。」というお言葉です。
このお言葉に込められた思いは、一人上皇陛下のみのものではなく、歴代の天皇のお考えに通じるものと思います。
平成二十八年に愛知県の西尾市を訪問した折に、岩瀬文庫で拝見した戦国時代の後奈良天皇(丁巳)の「宸翰(シンカン)般若心経」は洪水等、天候不順による飢饉や疫病の流行で苦しむ人々の姿に心を痛められた天皇自らが写経され、諸国の神社や寺に奉納されたものの一つでした。その後、京都の醍醐寺では後奈良天皇の般若心経を拝見し、奥書に「私は民の父母として、徳を行き渡らせる事ができず心を痛めている。」旨の天皇の思いが記されていました。
更に大覚寺でも、嵯峨天皇(丙寅)のものと伝えられる般若心経や後光厳天皇(戊寅)、後花園天皇(己亥)、後奈良天皇、正親町天皇(丁丑)、光格天皇(辛卯)が自ら写経された般若心経を拝見しました。
この様に歴代の天皇は、人々と社会を案じつつ、国の平和と国民の安寧の為に祈るお気持ちを常にお持ちであった事を改めて実感しました。また、“武”ではなく“文”である学問を大切にされてきた事も、天皇の歴史を考える時に大切な事だと思います。
例えば、鎌倉時代の花園天皇(丁酉)が皇太子量仁(カズヒト)親王に宛てて書き残された、いわゆる「誡太子書(カイタイシノショ)」においては、先ず徳を積む事の大切さを説かれ、その為には「道義や礼儀も含めた意味での学問をしなければならない。」と説いておられます。
この様な歴代の天皇の思いに深く心を動かされました。私は、過去に天皇の書き残された宸翰(シンカン)等から得られる教えを天皇としての責務を果たしていく上での道標の一つとして大切にしたいと考えています。
そして、その思いと共に皇位を受け継いでこられた歴代の天皇の為さり様を心に留め、研鑽を積みつつ、国民を想い、国民に寄り添いながら、象徴としての務めを果たすべく、尚一層努めて参りたいと思っています。
Q5 沖縄の本土復帰五十年
A5 私は幼少の頃より、沖縄に深い思いを寄せておられる上皇上皇后両陛下より、沖縄について色々な事を伺って参りました。子ども時代の沖縄との関わりについては、毎年夏を過ごした軽井沢での沖縄の豆記者の皆さんとの交流がありました。
そうした機会は幼少の私にとって、沖縄について知るとても良い機会でした。会の途中では豆記者の生徒さんが、沖縄の空手の形を披露してくれていましたが、昨年夏の「東京オリンピック」で金メダルを取った沖縄出身の喜友名諒選手の空手の演技を見ながら、当時を懐かしく思い出しました。交流会の終わりには全員で沖縄民謡の「てぃんさぐぬ花」と「芭蕉布」を合唱しました。
また、子どもの頃から毎年六月二十三日の「沖縄慰霊の日」には、黙祷とうを捧ささげていました。最初に沖縄を訪れたのは、昭和六十二年の「夏季国体」の折でしたが、それに先立って沖縄学の研究者であった外間守善教授から、沖縄の文化や歴史についてお話を伺った事も、沖縄への理解を深める上でとても良かったと思っています。
沖縄では、「ひめゆりの塔」や「戦没者墓苑」を訪問し、沖縄が被った戦争被害の痛ましさに深く思いを致した事をよく覚えています。結婚後には雅子と共に「平和の礎」を訪れ、二人揃って「沖縄戦」で亡くなった全ての方々への思いを新たに致しました。
また、沖縄の人々にとって大切なシンボルとなっていた「首里城」が焼失してしまった事はとても残念でしたが、首里城や今帰仁城跡等の史跡を訪れたり、様々な折に組踊や琉球舞踊等を鑑賞したりして、沖縄の歴史や豊かな文化に触れる事ができた事も良い思い出になっています。
先の大戦で悲惨な地上戦の舞台となり、その後、約二十七年間も日本国の施政下から外れた沖縄は、人々の強い願いの下、五十年前日本への復帰を果たしました。この間、今日に至るまで沖縄の人々は本当に多くの苦難を乗り越えてきたものと思いますし、この事を決して忘れてはならないと思います。
本土復帰から五十年の節目となる今年、私自身も今まで沖縄が辿ってきた道のりを今一度見つめ直し、沖縄の地と沖縄の皆さんに心を寄せていきたいと思います。そして、これからも多くの人が沖縄の歴史や文化を学び、沖縄への理解を深めていく事を願っています。
修飾:FPhime
写真:宮内庁
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