長州藩は「テロ集団・凶暴組織」だったと

【ビジネス報道】 令和四年八月十日までダイレクト出版(代取:小川忠洋)は、『「浮世絵が語るもう一つの明治維新」日本を支配した凶暴組織X…教科書には描かれない悪行の真実』のキャンペーン動画を公開した。


本動画は一度、六月に一週間限定で公開。延べ一.五万人以上が視聴した。今回は三日間限定で動画を公開していた。


キャンペーン自体は『西鋭夫と巡る「日本の記憶」第二巻 薩長史観の崩壊「上野・会津若松」編』。西(辛巳)は米「スタンフォード大」フーヴァー研究所のリサーチフェロー。著作に「國破れてマッカーサー(平成十年)/中央公論社」等がある。



<虐殺・拉致・皇居発砲>

 本動画では「長州藩(藩主:毛利家、現・山口県)」を以下の歴史よりテロリスト集団、凶暴組織Xとした。


  1. 文久三(一八六三)年「生野の変」;天皇の名を借りた大虐殺。尊皇攘夷派が代官所(役所)を襲撃
  2. 元治元(一八六四)年「池田屋事件」;新選組(治安維持組織)が尊王攘夷派を襲撃。天皇拉致徳川将軍暗殺の計画
  3. 同年「禁門の変(蛤御門の変)」;長州藩が京都御所(皇居)へ発砲。御所への攻撃は日本初



「実は当時の国内に於いて、長州はこの様なテロ・残虐行為を行っていたのである。」と以下の長州藩士の名を挙げた。

  1. 吉田松陰(庚寅);教育者。「松下村塾」
  2. 高杉晋作(己亥);代々、毛利家の要職
  3. 木戸孝允(桂小五郎、癸巳);維新三傑。文部卿(文部大臣)、内務卿(内務大臣)



会津殲滅

 対するは、将軍家を守る役割を担った「会津藩(藩主:松平家、現・福島県)」。動画では江戸幕府の用心棒とした。幕末の「浮世絵」はメディア。明治維新へ向かう政治状況を、庶民は各浮世絵から読み取っており、会津藩を民衆の味方、長州藩を朝敵として描写していた旨を動画で伝えた。


長州藩は大英帝国「グラバー商会」の後ろ盾を受け、大量の最新兵器(連発ライフルやアームストロング砲)を入手。現代価値にして数百億円~数千億円相当。“倒幕”の目的から“打倒会津”に摩り替えていった点を強調。


  • 慶応四・明治元(一八六八)年~同二(一八六九)年「戊辰戦争」;新政府軍vs旧幕府軍。「錦の御旗」の偽造(天皇の許可無し)。「大政奉還」の翌年から
  • 同年「会津戦争」;戊辰戦争の一局面
  • 死体の回収・供養を禁止。野晒し
  • 会津藩自体は、新政府へ従う意思を示していた


会津戦争につき、動画では「十八に満たない少年や女性までもが立ち上がった会津藩。最後に起こっていたのは、侍同士の決戦ではなく、一方的な虐殺だった。」と語る。



その他の謎

 そして動画では「今回、紹介した歴史は、その隠蔽された史実の極一部です。」と伝える。以下が、他の疑問点。


  • 戊辰戦争の薩長の軍資金はどこから?
  • 明治二(一八六九)年に創建の「靖国神社」に旧幕府軍が祀られていない
  • 孝明天皇の謎の崩御;孝明天皇は長州藩へ嫌悪感を抱いていた


この様な明治維新の闇に関し、「これは、宛(サナガ)らGHQが教育改革によって、日本の英雄達を教科書から抹消し、日本人としての自己肯定感を奪おうとしたのと同じではないでしょうか?」と綴った。


画像:ダイレクト出版㈱

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