シニアの呪縛から解き放たれる、その手法

【社会論説】 日本の中位数年齢は間もなく、五十代になる。日本国民は、ざっくりと五十代以上と五十代以下で半々という事だ。以前は二十代が中位数年齢だった。日本人は老いた国民が多い。六十五歳の高齢者の割合は全体の三割。高齢者が挑戦的だろうか。否、保守的だ。この日本は至って保守に縮こまっている。そこに希望はあるだろうか。


希望は挑戦によってのみ、存在する。守るだけの先に希望はない。だから若き働き手は固まって希望を創り出していかねばならない。高齢者の守りに合わせてはならない。彼らは資産(金融や経験)があっての守りだ。若き働き手は資産がないのに守ってはならない。挑戦で攻めて資産を形成しなければ、ジリ貧だ。



<現実を直視する>

 ポイントがある。老いると美辞麗句を求める。政治で言えば、立憲民主党が美辞麗句の極みだ。決して実現はできない。よく政策パンフレットを読もう。この決して実現できない謳い文句に翻弄されてはならない。現実を直視して、対策を練り、臨機応変に行動していく事で希望がある。


貧困層は増えている。高齢者よりも若者(二十代・三十代)の貧困層が増えている。国の統計には載らない漫喫住まい等は多くいる。高齢者は働き手が収めている年金がある。若者にはない。今のままでは一度、貧困層に落ちれば再起できない。正社員は絶望的だ。正社員になっても経営環境がグローバル化した為、課せられる仕事の量と質は以前よりも上だ。現在の司法では正社員を簡単に辞めさせる事ができない為に、不要な上司が居座り続けている。だから賃金上昇も出世もしない。


その組織は挑戦を善しとしない。守りに入る。挑戦は却下される。何故ならば取締役会が高齢者で構成されているからだ。自身の頑張りで所得が上がっても結婚には踏み切れない。子どもが欲しければ尚更だ。夫婦で所得がある程度ないと厳しい。結婚しても子どもが生まれたら離婚してはならない。母子家庭は国の統計の通り、貧困に落ちる確率が非常に高く、そして子どもは貧困の人生を確定する。



残された唯一の打開策

 親の所得で子の人生の所得が決まる。マイホームを購入しても何十年も返済し続ける確証はない。その結果、返済途中で家を売り、その後も売った家の返済をし続けなければならない。親もじきに介護しなければならない。介護の為に定職を辞めてはならない。貧困におちる。精神を病む。ベストは老人ホームだが、予算を準備しなければならない。


団塊の世代が若き頃、世の中はこんな設定であったか。否、何故か。高齢者よりも若者が多かったからだ。今は若者よりも高齢者が多い。近い未来にはAIとロボットの台頭で面接官や上司が人間でなくなる可能性もある。何より働き手の世代が三割の高齢者を養っている。


人は死ぬ事によって離職し、資産は下に受け継がれ、新たな者が上位に就く機会が増える。その新陳代謝が日本では止まったのだ。現実は充分に分かった。働き手世代が行うべきは一つ。シニアが関与しない組織体ないしグループを形成し、新市場を開拓する事だ。手法も一つ。自身達の趣味をビジネスに昇華する。幸いSNSやクラウドソーシング等でフィールドは既にある。


国は国民総フリーランス(個人事業主)を目論む。この機会を逃してはならない。働き手がギルド(職人)となり、ギルド同士でビジネスを成長させる。最初の身入りは小さいかも知れない。だが育めば呪縛から解き放たれる。兼業・副業時代に希望を見出せるだろう。働き手世代にとって美辞麗句というものは何も生産性が無い。耳触りの良いものは搾取と思え。現実は地獄の様に厳しい。

(了)

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