武力が無い「平和主義」は「敗者主義」、東條内閣発足を認めたのは日本国民だった

【政治考察】 この七十年、全くといって無かった改憲の機運が上がり始めた。憲法の第九条にメスを入れる。これを「戦争ができる国にしようとしている」との声があるが、その通りである。戦争ができる国でないと、ただ侵略されるだけである。個別自衛権は容認している様であるが、世界大戦の例をみれば一ヶ国で戦争はしない。同盟国と組んで戦争を行う。自国が攻められなければ、戦わないのだろうか。同盟国が攻撃されていても無視なのだろうか。


その同盟国が破れて日本側が劣勢になったら、ただ侵略されるだけである。自衛隊は事実上の軍事力であり、尚且つ、高度な実力を有すので敵国に対して抑止力を有す。本物の平和主義とは、軍事力を交渉カードとして有す事に他ならない。軍事力を否定する平和主義は、戦わずに侵略されるだけの「敗者主義」である。他国が日本の同盟国や英国や豪州の準同盟国、友好的なカナダやフランス、インドを攻めても日本は無視するのだろうか。


それはアメリカファーストよりも自己中心的で、世界平和的に非人道的だ。



<東條内閣が発足する迄の内閣>

 先の大戦では東条英機がA級戦犯とされ、現在も改憲反対派は東條のみをターゲットにしているが、それはおかしい。東條は昭和十六年十月から十九年七月まで首班であった。所謂、日中戦争の端緒ともいえる「盧溝橋事件」は十二年七月。東條は首班ではない。この頃は第一次近衛内閣。日中戦争の泥沼の後に太平洋戦争へ発展する事は歴史的事実なので、「盧溝橋事件」が無ければ、悲惨な太平洋戦争も無かった可能性がある。


「盧溝橋事件」の大元は何か。六年九月の「満州事変」である。この頃は第二次若槻内閣。「満州事変」後の八年三月に日本は国際連盟を脱退。この頃は、斎藤内閣。これも太平洋戦争の原因である。


戦勝国が時の責任者として、東條の責任を追及するのは分かるが、日本人が東條だけを責める事はおかしい。国際連盟を脱退した斎藤内閣は当時としては長めの政権だった。内閣総辞職の理由は連盟脱退ではなく、帝人事件。東條内閣が発足する迄の十年間、国民は選挙をしなかったのか。報道機関は仕事をしなかったのか。東條内閣の発足を認めたのは日本国民そのものである。大日本帝国は立憲君主制であるが、帝政ではなかった。つまりは大概、今と同じに国民が政治を選んでいた。



自己の責任を他人のせいにしてはならない

 因って罪があるのならば、東條内閣の発足を認めた日本国民にある筈だ。第一、勝っている最中に世論が倒閣を望んでいる節は、どの資料に残っているのであろうか。注意喚起する報道は存在するものの、世論は最初期から東條内閣の倒閣を望んでいなかった。


現在も同じである。但し、大日本帝国とは異なり、日本国民は主権者である。その主権者達が安倍内閣を選んでいる。仮想敵国が存在する以上、日本は同盟国と共に各国と連携を図る必要がある。北朝鮮に至っては核を有してしまっている。そして昭和とは大きく異なり、情報を主権者が自ら探し、選べる時代だ。


戦争の無い平和を維持する為には、軍事力という武力が欠かせない。その武力を持ってはいけのであれば、単なる「敗者主義」で売国奴に変わらない。本当に子孫を守る気があるのだろうか。


画像引用:防衛省・自衛隊

記事:金剛正臣

0コメント

  • 1000 / 1000