北方領土問題の根本的な背景

【政治考察】 日露首脳会談が、平成三十年十一月十四日にシンガポール共和国にて開催された。安倍晋三(甲午)首相は会談後に「この戦後七十以上残されてきた課題を次の世代に先送りする事なく、私とプーチン大統領の手で必ずや終止符を打つという、その強い意思を大統領と完全に共有いたしました。」と述べた。会談では互いの在任期間中、詰まりは安倍首相の任期満了となる新元号三年秋迄に昭和三十一年『日ソ共同宣言』を基礎とし、平和条約締結へ向けた交渉を加速させたい。


所謂、北方領土問題である。報道現在でロシア連邦(統領:ウラジミール・プーチン)が実効支配している択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島に対して日本が四島返還を求めている。この領土問題に安倍首相は決着をつけたい。


何故に揉めているのか。ロシア側の言い分は単純である。北方領土に米国(統領:ドナルド・トランプ)の軍事基地を造らない保証がない点とシベリア開発だ。軍事と経済の両面である。前者は『日米地位協定(旧・日米行政協定)』において、米軍は日本国内であれば何処でも基地を建設できる権利を有している。大東亜戦争(太平洋戦争)の真の終結となった昭和二十六年『サンフランシスコ講和条約』と同時に本協定は発行された。条約と異なり、協定には立法府の承認が要らない。当時は吉田内閣が協定を結んだ。


確かに米国と対立するロシアとしては、本土間近の北方領土に米国の軍事基地を造られては防衛上の問題である。沖縄とは距離が違い過ぎる。では何故、北方領土はロシアに渡ったのか。それは終戦間際の昭和二十年二月「ヤルタ協定」に記されている。米英ソの協定だ。当時はハリー・トルーマン(甲申)米統領、ウィンストン・チャーチル(甲戌)英首相とヨシフ・スターリン(戊寅)ソ書記長。ソ連の対日参戦の条件として、明治三十八年「ポーツマス条約/日露戦争」で日本に獲られた領土の回復や「千島列島がソヴィエト連邦に引き渡されること」が記されている。


この「千島列島」が現在に至る問題を引き起す。定義では「国後島」「択捉島」が含まれている。「色丹島」「歯舞群島」が含まれていない。ソ連を引き継いだ形のロシアは前二島は大東亜戦争の戦利品として当然に主権を主張をする。この領土分割案を提案したのは米英だった。昭和二十年の三者による「ポツダム首脳会談」でも米国は千島列島について黙認している(首脳は一部変わる)。ソ連は北海道も狙っていたが、米国が連合軍として事実上の単独占領を日本に対して行い、「極東委員会」等の施策をもってGHQが貫徹。ソ連どころか英国も排除していた。


沖縄も当時の中共(主席:毛沢東)の台頭を懸念し、米国が昭和二十年に手筈を整えている。今回は割愛する。二十六年『サンフランシスコ講和条約』にはソ連は署名をしなかった。講和条約に署名をしないと、戦争状態の継続中である。平成三十年においても、である。だから安倍首相は講和(平和)条約を結びたい。足掛かりとして日本は段階的に三十一年に『日ソ共同宣言』で「日ソ両国は戦争状態を終結し、外交関係を回復する」とし、「日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す」とした。


因って、大東亜戦争の終戦手続きがロシアとは終わっていない。何故ならば、領土問題でロシアが納得してないからである。軍事・経済両面を含めて日本は敗戦国として勝戦国のロシアと交渉を続けている。その裏で両国は常に米国の影を気にしている。日本は講和条約に向けて、二島返還に舵を切った。


画像引用:ロ大統領、2島の主権は交渉対象/共同通信

記事:金剛正臣

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