天皇陛下がお誕生に際して最後の記者会見、沖縄の犠牲に心を寄せられる

【社会報道】 天皇陛下(癸酉)は、平成三十年十二月二十日に二十三日のお誕生日に際し、宮殿「石橋の間」にて最後の会見にお望まれになった。宮内記者会は代表質問として、現在のご心境と国民に伝えたい事を伺った。


陛下は本年、国事行為に関して最高裁判所長官の親任式、国務大臣十四名、大使四十名を含む計九十八名の認証官任命式等に臨まれた。他にも、内閣から上奏のあった九百四十件の書類にご署名と押印をなされた。外務省 総合外交政策局長等からのご進講を十回、行幸啓や行事に関するご説明を三十七回お受けになられ、皇居勤労奉仕団延べ一万千六百七十二人に六十七回に亘ってお会いになられた。


陛下は以下に述べられた。

  この一年を振り返る時、例年にも増して多かった災害の事は忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風等によって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表すると共に、被害を受けた人々が一日も早く元の生活を取り戻せる様願っています。

因みに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和三十四年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時の事でした。


今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。

私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。


 第二次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、更には、多数の難民が苦難の日々を送っている事に、心が痛みます。

以上の様な世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を十一歳で迎え、昭和二十七年、十八歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えた事を覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りに亘り諸外国を訪問しました。それから六十五年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和二十八年に奄美群島の復帰が、昭和四十三年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和四十七年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史を辿ってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に十一回訪問を重ね、その歴史や文化を理解する様努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私共の思いは、これからも変わる事はありません。


そうした中で平成の時代に入り、戦後五十年、六十年、七十年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、この様な多くの犠牲と国民の弛みない努力によって築かれたものである事を忘れず、戦後生まれの人々にもこの事を正しく伝えていく事が大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしている事に、心から安堵しています。

そして,戦後六十年にサイパン島を、戦後七十年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊の為訪問した事は忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。


 次に心に残るのは災害の事です。平成三年の雲仙・普賢岳の噴火、平成五年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成七年の阪神・淡路大震災、平成二十三年の東日本大震災等数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けた事に言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。只、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ,防災に対する意識と対応が高まってきた事には勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。

障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていく事も、私共の大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションの為に始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、更に、それを見る人も楽しむスポーツとなる事を私共は願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいる事を感慨深く思います。


 今年、我が国から海外への移住が始まって百五十年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍する様になりました。こうした日系の人達の努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。そして近年、多くの外国人が我が国で働く様になりました。私共がフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就く事を目指してその準備に励んでいる人達と会いました。日系の人達が各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍している事に思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私共皆が温かく迎える事ができる様願っています。また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進む事を願っています。


 明年四月に結婚六十年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私と繋がる人々を大切にし、愛情深く三人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝すると共に、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、六十年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきた事を、心から労いたく思います。


そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこの為の準備に当たってくれている事に感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいく事と思います。

今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となる様願っています。 


御影引用:宮内庁



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