三月に両国で元・UFCフライ級王者と闘う若松佑弥の物語り|ONE Championship

【スポーツ報道】 総合格闘家・長南亮(丙辰)が率いる東京・練馬の総合格闘技ジム「トライブ東京 M.M.A」。地下に降りる階段に足を踏み入れた所で、練習を終えたばかりの青木真也(癸亥)とすれ違った。このジムには、日本のトップ選手達が互いを研鑽しに日々訪れている。「殺戮ピラニア」が長南のニックネーム、「跳関十段(とびかんじゅうだん)」は青木の異名。


十八歳で上京し、二十歳でプロデビュー。キャリア三年の二十三歳。若手のホープである若松佑弥(乙亥、写真右)も、このジムで日々鍛錬を重ねている。「リトル・ピラニア」が異名。長南が師匠だ。そして、平成三十一年三月三十一日に両国「国技館」で開催されるONEチャンピオンシップ初の日本大会『ONE:A NEW ERA-新時代-』で、元・UFCフライ級王者のデメトリアス・ジョンソン(丙寅)と対戦する。


 「俺は鹿児島の薩摩川内で育ちました。両親も兄弟もみんな真面目な家庭なのに、俺だけが暴れん坊でね。地元に七つ年上の兄貴分がいたんだけど、小学生の頃からかわいがって貰ってどこへでも付いて行った。改造したバイクを乗り回すようなワルなんだけど、カッコよくて、憧れたな。だから、学生時代は喧嘩ばっかりしてましたね。いつもイライラしてて、ちょっと目があっただけでも即喧嘩。俺の青春はこんなです。」と、今どき珍しいステレオタイプの不良として幼少期を過ごした若松は、中学を卒業すると更に過激に暴走していく。


鳶職をしながらも大人になりきれない若松だったが、十八歳で転機が訪れる。「鹿児島を捨てようって。いや、捨てざるを得なかったとも言える。それで東京に出てきました。でも最初の一年は、遊んでばっかり。でも、ある日思ったんです。このままじゃダメだ。自分を変えよう。そして、親孝行しようって。」と。こうして、若松はM.M.Aの門を叩いた。


「ボクシングをやった事はあったんですけど。当時は、俺が求めてるのはこれじゃないと思った。喧嘩が強くなりたかったし、全ての局面で強くなりたかった。柔術を習った事もあったけど、総合のジムなら文字通りすべてが学べる。」と、若松の規格外の挑戦が始まった。


ジムでトレーニングに明け暮れる毎日。アマの試合では連戦連勝を重ねた。プロ初戦こそ苦杯を舐めたものの、そこからはパンクラスで破竹の九連勝。若松の人生に未来という光が射していた。しかし全てが順調だった頃、ある事件が起きる。


「ニ年前の夏、同じ時期に入門した同い年の秋葉尉頼が交通事故で亡くなってしまったんです。階級も同じだし、ライバルであり兄弟のようでもあった。彼の事があるから、俺はもう逃げられない。彼の分もやるしかない。」と。


不屈の闘志でパンクラスのトップ コンデンタ(競技者)に上り詰めた若松は、タイトルこそまだ獲得していないが、ONEから出場オファを受け取った。来る三月の日本大会では、十一度の防衛を達成したジョンソン元・王者と対戦する。「凄い相手だと分かっているし、怖さもある。だけど、トップ選手は番狂わせを起こして成り上がってきた。そうでしょう。俺もそれをするだけです。」と。若松は闘う。かつて弱かった自分に打ち勝つ為に。志半ばでこの世を去った戦友の為に。そして、どんな時も応援してくれた両親に親孝行する為に。 若松佑弥の伝説はまだ始まったばかりだ。


写真:ONE Championship

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