国会議員は公務員としての国民代表、報道記者は主権者としての国民代表

【政治論説】 平成三十一年二月二十六日に、それは起きた。東京新聞・社会部記者と官房長官とのやり取りだ。記者が記者会見の意義を問い、官房長官が「貴女に答える必要はありません。」と答えた記者会見だ。


他のメディアでも論じている様に当該記者の質問は、やや冗長的であり、政府首脳の官房長官に対する質問の仕方としては、有意義とは言えない(まず自身の意見を陳述するやり方)。同じ様な問いに対し、官房長官は真摯に幾度も答えている。


問題は“国民の代表”に対する捉え方だ。結論で言えば、官房長官は間違っており、当該記者は正しい。官房長官は“国民の代表”を「選挙で選ばれた国会議員」とし、報道機関の記者を代表と見做さなかった。


先ず、官房長官は憲法四十三条「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」を前提に反論している。これは間違いではない。法的な根拠がある。だが、憲法は国権(公務員)を縛る目的の法である。主権者・国民を縛る方ではない。よって、三百五十万人近い全公務員の中で全国民を代表できるのは、国会議員である。正しい。


だが、報道機関の記者も国民を代表している。もし、報道機関の記者が国民を代表しないのであれば、以下の点に矛盾が生じないか。

  • 官房長官を含め、記者クラブ主催の記者会見に国が応じる事
  • 国会記者証の発行
  • 天皇皇后両陛下の取材
  • 企業の記者会見への出席等


代表でない者の為に国が会見に応じるのは、おかしいのではないだろうか。当然に自民党は党内の会合等の取材には「どこの記者クラブか」を問う。憲法において主権者・国民の義務は教育・勤労・納税の三義務のみを記す。各種法律で主権者・国民に規制等を掛ける事ができる為に勘違いしているのだろう。主従関係でいえば、主は国民、従は公務員である。だから主権者・国民が税金で公務員を賄っている。

記者達に「ご苦労さま。」と声を掛ける公務員も意味を知らないのだろう。


憲法学者の「慶大」小林節 名誉教授も三月二日付で記事「報道機関の記者は紛れもなく主権者国民の代表である/日刊ゲンダイ」を寄稿している。だが、二月二十七日付の記事「官房長官の定例記者会見を廃止せよ/アゴラ」で「東京新聞の社員が国民を代表していないことは明白だ。」と官房長官と同じ意見を発したのは、経済学者の「SBI大」池田信夫 教授。法の基礎を知らないのだろう。

但し、官房長官は法学部出身だ。確かに四十年前に学んだ、と言われれば致し方ない点もあるやも知れないが、政府首脳である以上は司法の判例を重んじられたい。


最高裁判決を筆頭に判例も法と同じ、法律より上位に位置する。官房長官は政治学科であった為、立法と行政よりも司法が上位である点を知らないのかもしれない(例:違憲立法審査権)。司法が暴走しない様に行政が司法の長を決める事ができる。


そして何よりも報道機関が国民の代表でなかったならば、誰が三権(司法・立法・行政)を監視するのだろうか。

一国民では、フリージャーナリストの扱いで分かる通り、三権の監視なぞ不可能である。その為に自由な民主主義を守る者として報道機関の存在が求められ、判例も認知する(例:博多駅テレビフィルム提出命令事件;最判昭四十四.十一.二十六「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の『知る権利』に奉仕するものである」)。


この国は法治国家である。政府首脳だけでなく国会議員や、この国の上位の者は法(判例・法律)を学ばれたい。

(了)

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