何故に日々が苦しいのか、その原因と対策

【政治論説】 国内の知識層は民主主義の衰退を危惧する。世界的には社会主義への傾倒がみられる中、日本の政体も今のままで良いのか、熟慮しなければならない。ポピュリズムが謳歌する米国では若者を中心に「自由至上主義(リバタリアニズム)/政治哲学」が台頭している。


この自由至上主義とは、個人的な自由と経済的な自由を重んじる事。新自由主義では個人的な自由を重んじず、経済的な自由を重んじる。日本の若手にも徐々に浸透している。保守主義でも共産主義でもない思想だ。


現行の日本では議会制民主主義(代議制、間接民主主義)を採用。十八才以上の国民は等しく同じ一票をもつ有権者で、議会の代表である国会議員を選び、国会議員の中から国会議員が両院議長と総理大臣を選ぶ。地域によって一票の重みの較差が存在する為、較差を是正すべく多数訴訟が起きた。一票を平等に、という事だ。


だが、今の選挙方式では若手を含む働き手や有権者ではない子どもの意見は反映され難い。六十代と七十代以上は六割から八割の投票率で、二十代と三十代は三割から五割だ。そして何よりも絶対数が数倍もシニアとは開いている為、若手の意見は国会に反映され難く、シニア優勢の国会となってしまっている。そのシニアが働き手や子どもの事を考えてくれれば良いが、現実には社会保障等の保身が多い。国家予算の歳出配分をみれば一目了然だ。

これではシニアの為に働き手と子どもは生きている様なものだ。日々の生活・仕事が以前よりも苦しい理由は、ここにある。


では、一票の重みを変えるしかない。年代別も想起されているが、働き手とシニアに分けるだけでも国会は大きく様変わりするだろう。シニアを蔑ろにするのではなく、税金という歳入元を主に負担している働き手と歳出先の主なシニアの意見を選挙においては、最低でも同格に調整する必要があるだろう。


更には普通選挙から制限選挙への回帰も一つの手段である。年始に「もっと言ってはいけない/橘玲」が刊行された。日本人の三割程度が日本語を読めない、質問の意味を理解できない根拠データを記した。第四革命においてITスキルは必須だが、六十五歳以下の内、九割程度が国際的に認められるスキルを有していない。


彼らが選挙権を有している。各党の政策の是非や政策の結果の考察はできるのだろうか。ポピュリズムに走るのは必然ではないだろうか。参政権は主権者として最重要な人権だが、働き手の方の人権が蔑ろにされている。そして若手や子ども達の人権は更に蔑ろにされている。憲法第二十五条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と記されている。働き手は自信をもって、肉体的に精神的に健康で文化的な最低限の生活を営んでいるだろうか。


働き手が未来へ希望を持てないのは、政策が悪いのではなく、有権者が偏っている為である。その圧倒的多数の有権者が学びを怠り、扇情的に投票し、保身に走るので、百兆円の予算の日本は歪む。以前は、ここまでシニアに偏るどころか、シニアは圧倒的少数であった。


社会・共産主義は隣国をみれば分かる通り、自由は無い。真の自由を手に入れる為には、現行の選挙制度を変える以外に他無い。革命は更に酷い結果を齎すが、政治の改善は自由を齎すだろう。若手を含む働き手と子ども達に希望が満ち溢れる日本を手にすべきではないだろうか。


選ばれた議員は動けない。口にして現実を支持者に述べれば、次の選挙で落とされるからだ。口にして行動できるのは、未だ自由を諦めていない働き手しかいない。さもなくば、後、何十年間も尽くすだけになってしまう。

(了)



0コメント

  • 1000 / 1000