新元号《令和》の決定打は若手への期待から

【社会報道】 平成三十一年四月一日に政府は五月一日に皇太子殿下(庚子)の御即位に伴う改元につき、新元号を《令和(Reiwa)》と『元号法』に基づいて公表した。 皇極天皇(甲寅)から使用し始めた元号「大化」から数え、令和は二百四十八個目、近代に入ってからは五個目となる。


典拠は、日本最古の歌集「万葉集」の梅花(うめのはな)の歌・三十二首。

時に初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)く。梅は鏡前の粉(ふん)を開き、蘭は佩後(はいご)の香を薫(くん)ず


冒頭からの引用で、日本古典(国書)は初。一世一代制となった近代元号の明治は「易経{聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)いて治む}」より。大正も「易経{天が民の言葉を嘉納し、政(まつりごと)が正しく行われる}」。昭和は「書経{国民の平和と世界の共存繁栄を願ったもの}」。平成は「史記{内平かに外成る}」と「書経{地平かに天成る}」。


安倍晋三(甲午)首相は談話を発表。令和の意味を「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」とした。万葉集を選定した理由は、一千二百年前に世界的に珍しい当時の国内の略全階層から歌を集めた点が、日本の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書である事より。令月は陰暦二月の異称で、何事を行うにも良い月とされる。次の時代の希望に願を掛ける。


また、首相は「新しい世代のメディアを形作られた、と思っています。こうした若い世代のムーヴメントは確実に、これまでの政治や社会に大きな変化を齎しつつあります。」と若者・若い世代を強調。若手による新しい時代への活躍を期待した。「この点が元号を決める大きなポイントでもありました。」と述べた。


先月に日本テレビや読売新聞が行った世論調査によると、日常での元号と西暦の使用割合は「元号を多く使っている」が四割、「西暦を多く使っている」は二割強、「同じくらい」は三割となった。二月の毎日新聞の世論調査によると、「主に元号」と「元号と西暦と半々」が共に三割強で、「主に西暦」は二割強であった。昭和五十二年の政府の世論調査によると、「主に元号」が九割弱、「主に西暦」と「半々」で一割弱であった。


平成の時代を経て元号の支持率は下がったものの、未だに西暦よりも元号の方を国民は支持している。日本人としての自覚の顕れだ。日本はキリスト教が国教ではない。各社報道機関や政府はGHQの占領期より西暦を主(西暦が先、元号が後)にしているが、未だ抜けだせない部分があるのだろうか。国民の意識を重んじ、日本国の組織である以上、改元を機に一考の余地があるだろう。


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