音喜多駿の敗因は政治だけでなく、ビジネス・芸能にも通ずる

【政治考察】 平成三十一年四月二十一日に東京・北区長選が投開票され、現職の花川與惣太(乙亥)区長が元・都議の音喜多駿(癸亥)候補に一万票差で再選した。区長は六万五千八百七票、音喜多候補は五万四千七十二票。もう一人の新人の川和田博(辛卯)候補は二万二千二百十三票。得票率は、それぞれ四十六.三㌫、三十八.一㌫、十五.六㌫。反現職で実に五十三.七㌫に上り、票が割れてしまった。

最大の敗因はネット記者達を見方に付けなかった事にある。


既に様々な敗因分析の記事が散見されるが、自公や立憲等の野党は区長を推薦していた。選挙に強い創価学会・婦人部を基礎とする自公の組織票が強い事は周知の事実だ。この勢力に対抗する為には、ネットを基礎とする世論が欠かせない。若手が劣勢の北区においては、特にネット戦略が重要であったであろう。音喜多元・都議は、ここを怠り、職を失った。


政権を担う安倍政権は、報道を味方に付けている。よって六年間、選挙に強い。NHKでさえも身内扱いする週刊誌もあるが、保守の新聞、NHK、民放との情報交流を重んじているのが、現政権と自民の強さだ。それに合わせて、ネット系のニュース媒体にも強い。積極的にネットの記者達の名刺を集め、情報発信する術を有す。若手の意見を代弁するハイム/報道府はネット系で唯一、安倍政権の支持を表明している。結果、安倍政権の政策及び自民のネット戦略の奏功も相俟って若者の自民支持率は高くなった。

取材現場で接してきた自民の国会議員は、職員を別にして、有権者の一代表として我々に接する。


一方の当時の民主は、まるでネット記者への応対が悪かった。一重に有権者を軽んじている印象が拭えず、野党を推すネット記者達が軒並み減っていった。電話応対に始まり、記者会見での上から目線、記者達に自身達が上だと言わんばかりの「御苦労様」を連発し、敬語を使わなかった。そして民進や立憲・国民になっても風潮は変わらない。ネット記者への軽視だ。



<ネット記者を軽んじれば凋落>

 これはビジネスや芸能にも通ずる。強い企業はネット系に寛大であり、積極的にイベント取材のリリースを編集部へ送付している。非常に拙いのが、ネット動画配信の禁止。報道現在で、ネット動画におけるニュース配信は「マイデジTV」が主力だ。ここを含めた動画のニュース配信を禁ずると先は見込めない。バズ現象は起きない。これではイベントを開催しても効果が半減する。禁ずる考え方は単純で、事務所側のプライドの問題だ(企業のイベントには通常、芸能人を起用する)。民放やスポーツ誌、週刊誌は認めるが、「ネット動画は認めない」と時代に抗う。若手の映画俳優も囲み取材は少なく、知名度及び興行収入は頭打ちだ。

一重に囲みに応じないからだ。ネットに理解の無い者がマネジメントしている。


政治に戻せば、音喜多元・都議は元気会の出身。元気会は一部のネット記者を認めていたものの、国会の記者証が必要な国会内での会見を行ってしまった為に、ネット記者を事実上、排除してしまった。周囲にいたのは、毎週、会見に来ても記事に略しない新聞社の記者達だった。その前身のみんなの党はYTの黎明期。ある程度は許容していたものの、ネット記者達を軽んじてしまったが為に、斯様な結果に終わった。

野党で言えば、現・自由の前身である生活の頃は広報がネット記者を重視しており、積極的にリリースを送付していた。だが、何がしかの理由で更迭されてしまい、リリース送付が無くなった。更なる凋落の始まりである。


大阪で自公に勝った維新は、どうか。橋本市政時代には、積極的にネット記者へ情報を解禁し、ぶら下がりでは質問がなくなるまで真摯に応対していた。この流れを維新は地元で踏襲している為、大阪では強い。だが、東京では東京のネット記者達を軽んじてしまった。情報発信の中央である東京で、やってしまったが故に国政では大きな結果を残していない。東京の維新の国会議員は、常に偉そうである。これではネット記者が忌避する。



ネット記事を読むユーザを重んじるか

 この様に俯瞰すれば、どの業界であろうと、ネット記者との交流を重んじる者・組織が強い事は明白である。公明はネット記者に弱く、共産は一時期で重んじていたが、現在は弱い。名刺の管理、媒体自体への知識(ユーザ層等)、そして各ネット記者の論調。この三点を音喜多陣営は軽んじてしまった。自身のブログのアクセス数は、確かに地方議員として日本最高クラスであろうが、悪までも地方議員の範囲を超えない。地方選で新聞記者達を相手に訴えても、略意味が無い事は歴史から自明であろう。


現状は大手新聞・民放からバズ情報は生まれない。順番は決まっている。ネットからスポーツ紙や週刊誌、そして新聞と民放の順番だ。これは経営学の『イノベータ理論』に合致する。この順番の理由は単純である。ネットと新聞・民放の柔軟性の違いに併せて、そもそも記者達が、編集長等の意思決定者達が若い。バズという流行は、いつの時代にも若手から起こる。

詰まり、ネット記者を押さえた者が勝利する時代だ。


記事:金剛正臣

写真:北区長に落選の音喜多氏「完敗です」/産経新聞

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