終わらせた世界の植民地支配、今の日本人は戦没者に胸を張れるのか

【人生論説】 本日、八月十五日は『戦没者を追悼し平和を祈念する日(終戦の日)』。正午より新天皇皇后両陛下のご臨席の下、「全国戦没者追悼式」が政府主催で開催される。国際的な日米戦争(大東亜戦争)の終結は九月二日。八月十五日は昭和天皇の玉音放送日で、九月二日は東京湾にて停戦協定の調印日。


本追悼式は昭和三十八年より毎年実施している。年に一度、我々の先達が欧米列強に抗うべく、一般人を含めた戦没者に追悼を捧げる日である。今の日本は先達ありきの日本である事を決して忘れてはならない。


日本が極東で立った事で成果はあった。五世紀、五百年にも亘った世界の植民地支配を終焉させ、アジアが独立した。日本が立たなかったら、現在でも植民地支配が続いているかもしれない。十五世紀から始まったスペイン・ポルトガルによる植民地支配は、英蘭仏の主導に移り、新興国の米露がアジア侵略。当時の日本は極東一国で闘う事を決め、まず隣国の朝鮮・中国・満州・モンゴルの近代化を図った。決して欧米の様な植民地支配は行っていない。


そしてスペインに支配され、後に米国に支配されたフィリピン等の東南アジアを欧米の植民地支配から解放していった。この間も、欧米の様な植民地支配は行わず、各国の独立や稲作技術の提供等と今で言うボランティア精神で同じアジア民族を助けた。二十一世紀の今でも現地の日本兵等の功績は各国で受け継がれている。



過去があるから現在、そして未来がある。十六世紀で既にスペイン・ポルトガルによる領土論「デマルカシオン」により日本も領有権や分割区分線等を検討。大東亜戦争終了時にも英米中ソによる日本四分割論が挙がり、日本は回避した。


もし先の大戦で先達が闘っていなければ、既に日本は無いかもしれない。



戦争をしない為に外交がある。当時も外交的努力は嫌という程に行った。だが白人至上主義の国際連盟では通用しなかった。北朝鮮が核を有した様に、外交は一定の軍事力というカードがあって成立するもの。世界は軍事力ありきの経済だ。日本の経済が厳しい、日本人の若手の生活が苦しいのは経済の交渉の場で負け続けているからに他ならない。


「戦争反対」とだけ唱える美辞麗句が多いシニア達の結果、働き手達が苦しい。戦争は日本人なら誰でも反対だ。だが戦争を望む世界の国がいる事を忘れてはならない。軍事産業は経済力となるからだ。


我々、日本人は改めて先達が命を賭すに値する日本人になっているかを問わねばならない。今だけを重視する、そんな日本人の為に若き命を散らしたのではない。植民地支配から守ってくれた、世界の植民地支配を終わらせてくれた先達に胸を張れる生き方をするべきであろう。それを想い直すのが、八月十五日である。

(了)

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