若手は「天下国家」「世界」「幸福」を語れるように

【政治論説】 もし日本の政治・経済が悪いのならば、政治家のせいである。政治家が悪いのならば、国民のせいである。政治は徴税や警察以外に強制権を有しないので、社会が悪いのならば国民のせいである。

国民の民度は、どの程度だろうか。


憲法が定めた国民への義務は三つ。「教育(二十六条二項)」「勤労(二十七条一項)」「納税(三十条)」。最高法規である憲法は国民に対し、三つしか義務を要求していない。それ以外は自由だ。殆どは政治(三権)を縛る条文。それが憲法。


令和時代は人生百年時代。義務教育や大学を含む高等教育の知識のままで生き抜く事は難しい。教育と勤労の義務には、新たに学び直し(リカレント教育)が入ったと判断するべきであろう。政府も国民の為に察している。さすれば、通常は日々の収入を増やす為に学び直す。次に資産を増やす為に学び直す。次に社会を良くする為に学び直す。そして政治・経済を良くする為に学び直す。



 何かを良くする為には、先ず学ばなければならないだろう。現在の日本、未来の日本を良くする為に一体、何人が学んでいるのだろうか。社会を良くする為に多数のNPOがある。七月末現在で認定NPOは一千百七。四十七都道府県で按分すれば、二十四/一都道府県。社会は良くなっているだろうか。


政治・経済は、どうか。左派系の新聞は批判に徹しており、代替案や打開策等の提示が少ない。左派系は政党・政治団体や経済団体・労組を本当に推しているのだろうか。右派系は左派系に比べて積極的だが、質はどうか。TVに至っては民度を上げる為に、どれだけ貢献しているのだろう。


Webも玉石混交で、玉が極端に少ない。石の様なコンテンツが溢れている。これらは全て国民が選んでいる事実による。国民が玉を求めれば、受容となり、供給が増える。現状では玉を求める国民が少ない事を意味している。



 政治家は「天下国家」、経済人は「世界(グローバル)」、社会貢献者は「幸福」を語るべきだが、なかなかに少ない。政治家に至っては「天下国家」を語っている者が国会議員の中に何人いるのだろうか。大臣足る者、自身が考える「天下国家」をアピールして欲しいものだ。


だが国民が、それらを求めてなかったら虚しい。古代の帝政・ローマ帝国を詩人のデキムス・ユニウス・ユウェナリスは「パン(食糧)とサーカス(スポーツ等の娯楽)」と揶揄した。政治・経済について考えさせない政策である。帝政が仕掛けた。


現在の日本は、自ら「パンとサーカス」を求めていないだろうか。現代風に変えれば「人権と娯楽」だ。人権を声高に訴え、ゲーム等の娯楽に時間を惜しみなく費やす。学びの時間は、ちゃんとあるか。人権だけでは、政治・経済・社会は良くならない。正義が良くする。


実質的に社会を良くする機関・NPO、経済を良くする機関・企業、政治を良くする最高機関・国会について学んでいるのだろうか。少なくとも、良くする為に行動しているのだろうか。企業間ではビジネス フォーラム等で語りの場があるものの、世界的有名企業を輩出してない点より、成果に乏しい。ただ無いよりはマシだ。



 「天下国家」を語る国民、「世界」を語る国民、「幸福」を語る国民が少な過ぎる。明治・大正・昭和は形は如何様であれ、それらを語る国民や場を提供する国民がいた。当然に、どの時代も筆頭はシニアである。平成のシニアが、最も軟弱なのだ。よって軟弱なシニアに期待する事はやめ、若手が本当の自由を手に入れるべく、日本国内やアジア、世界に対して仕掛けるべきであろう。


日本は世界で経済が三番目に大きく、世界の流れを決めるG7に入っている唯一のアジア国家である。この事実は昭和までの先代のお陰である。平成は、ただ下降した。日本を含め、日本政府が承認する世界の国の数は百九十六ヶ国。


我々には仮想世界(ネット)がある。そこで「天下国家」を語る若手、「世界」を語る若手、「幸福」を語る若手を増やしていく。人権と娯楽だけに、金(カネ)よりも貴重な時(トキ)を費やしてはならない。生きる意味は「天下国家」「世界」「幸福」を語る者に宿される。それ以外は何十年間か地球上にあった肉と骨でしかない。これが史実だ。


儒家・孔子は『世の為、人の為』という義を重んじた。

自己の為は所詮、淘汰される。

そして心あるシニアが一念発起する事は望みとして残しておこう。

(了)

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