金剛正臣は何故、若手を代弁する報道機関をつくろうと思ったのか

【コラム】 報道府(代表:金剛正臣)の主力・映像媒体「bizlinTV」が八月で十年を迎える。


この間、国内におけるYouTube内での報道(ニュース)コンテンツの配信、街頭演説のコンテンツ化、企業の記者会見のコンテンツ化を達成してきた。「bizlinTV」より以前に、国内では報道コンテンツや街頭演説、記者会見はYTになかった。今では報道各社や一般ユーザ、メディア各社がYTにコンテンツを配信している。


氷河期世代の金剛(辛酉)は、バブル崩壊とリーマン・ショックを経た日本の政治・経済・社会に違和感を抱いてた。


「何ゆえに、こんなにも若手は報われないのか。」


理由はシンプルであった。意思決定者がシニアであり、若手の意見を汲み取る仕組みが無い事を知った。例え若手が奮闘し、大企業となり、一社だけが頑張ってもダメだ。大企業もまた行政に縛られる面がある。司法・立法・行政に対抗できるのは、報道しかない事も知る。その報道機関も取締役会に若手は不在である。これでは意見が反映されない。


ならば、まずは報道機関を立ち上げるしかない。



だが報道には既に「マスゴミ」等と酷評される面があった。立ち上げ前に分かっていた点は、多くの報道機関が営利を追求する株式会社の形態であった点だ。株式会社である以上、クライアント(広告スポンサ)を蔑ろにはできない。株式会社では報道の自由が制限されてしまう。東電の事故の際に痛感した。

だから非営利の財団という形式を選んだ。


当然、他の報道機関よりも財務基盤は永劫に見劣りする。しかし自由な報道を欲した。日本には寄付の慣習も少ない為、財務基盤は今でも拙い。それでも国民が納得いく正義の報道機関を目指したかった。国民の意見を集約し、行政にぶつける。これができるのは、報道機関がベストだ。



<映像取材の壁>

 次に媒体(メディア)だ。新聞社とTVが結託している事(資本関係)は周知の事実。報道機関を名乗るならば、記事だけでなく、写真と映像で報じる必要性がある。記事・写真媒体と映像媒体だ。特に後者が難しかった。関係者ならば分かるだろうが、前者は今でも媒体数が非常に多い。参入障壁が低いからだ。一方の後者は参入障壁が尋常でない程に高い。映像取材そのものが許可をもらえない。


これには相当苦労したが、今では大企業の代取や総理等の大臣、陛下まで映像取材ができる様になった。報道府を認めてくれた方々には尊敬の念を禁じ得ない。


現在は記者クラブの壁にぶち当たっている。我々が先輩である報道各社から見て、信頼に足る報道機関になる必要がある。



カタチが決まれば、どんなコンテンツにするか。ジャーナリズムの事だ。報道府はスロー ジャーナリズムを選んだ。通信社が得意とするフラッシュ ニュースやTV局が絶対効果を有すストレート ニュースは先輩達に任せ、考察や知見等と鳥の目を意識。過去(アーカイブス)を蓄積し、現時点が一体、どんな兆候なのか、これからどんな未来が待っており、若手にとってどんなチャンスがあるのか。この点をジャーナリズムの主軸とした。


よって番記者の様な取材方法は採らない。時代の流れにおいて、分岐点と思われる事象を直接に(一次)取材する。他社が取材している場合には、無理をして追わない。点よりも線、面を追う。


また署名記事にも貢献した。当時は記事に署名そのものが新聞をはじめ、付いてなかった。それは報道の責任逃れと言われても仕方がない。政治家等の発言に責任を求めるならば、取材する側から責任をもって記事を書くべきだろう。Web記事が一般化し、実名による署名も多く増えた。



政治・経済・社会に若手の意見を届け、実現する事が報道府の目的である。

若手が潤えば、中堅・シニアも潤う。



金剛は考えた。

「どうやってら若手の意見が届き、通るか。」


氷河期世代はバブル崩壊の煽りを受けて、正社員になれる確率が前の世代よりも低かった。求められたのはPCスキル。だが氷河期世代は義務教育も含めて、PCに関して何も学んでないに等しかった。ワードやエクセルはおろか、メールアドレスの設定でさえ独学だった。当時のネット速度は今とは比較にならない程に遅い。


氷河期世代がようやくネットサーフィンをできる様になった頃に、ブログサービスと動画サービスが出てきた。ライブドア ブログやアメブロだ。動画の方はエキサイト「ドガログ」やアメブロの「アメーバビジョン」。YTは画質も使い勝手も悪く、三番手だった。


試行錯誤した結果、YTを選んだ。平成十七年にグーグルがYTを買収するニュースが走り、動画が検索と連動すると見込んだ。五年のテスト期間を経て学習し、二十二年に「bizlinTV」を開始した。エンタメ系のチャンネルを運用していた為、ビックデータと呼べる程に知見が溜まった。

「普通の報道(ニュース)では数字を取れない。」


若手は既にSNSでシェアを行っていた。これはゆとり世代で顕著だった。金剛はシェアに着眼する。シェアしたくなる動画は、著名人の動画と友人・知人が撮った動画。政治にまるで興味を抱いてない若手が勝手に参入(撮影)できるもの、それが街頭演説だった。二十五年の『参院選』から政治報道を始めた。この時に東京選挙区では二人の若者が当選した。報道各社の予想を覆した。若手SNSの勝利である。


(イケる。)


そう判断し、スマホをもつ若手が街頭演説を撮影する事を意識しながら、映像取材を続けた。中堅・シニアの候補者に若手は興味がなかったので、若手の候補者に集中した。五年を待たずに、それは当たり前化した。今では選挙の度に若手以外からの街頭演説の動画の配信されている。政治家も気を抜けなくなった。


今までの選挙は大メディアをはじめ、候補者の人間性が分からなかった。個人のHPもなく、SNSもなかった。未だに無い政治家もいるが、取材した候補者の個人名で有権者が検索できる様に意識した。今では「選挙ドットコム」等のサイトが立ち上がり、更に候補者の人間性が分かり易くなった。やはり写真だけではなく、動画で表情や声を取材し続けたい。


同時に『統一地方選挙』では若手を中心に写真取材を行った。挑戦した若手の候補者が晴れて政治家になり、若手の意見を議会へ届ける道が太くなり始めた。地方自治にも若手の意見・価値観を。お陰で元アイドルまでもが立候補してくれる様になった。着実に若手の政治への関心が増えている。

結果、若手の国務大臣と国政政党の党首が誕生した。画期的な事象である。



経済の方では若手はまだまだだが、希望もある。ネット企業群による「新経連」が立ち上がった。シニアで占める経済三団体に対して中堅を中核とした経済団体だ。安倍政権に対して適宜、提言をおこなっている。当然、報道府も取材に入った。今は若手の意見が反映されるという感は少ないが、未来に期待できるだろう。そして代取の取材を続ける理由は、若手に優れた代取を映像で学んでもらいたい面がある。

若手の経営者がたくさん必要だ。



報道の方でも「JX通信社」という通信社よりの報道機関が立ち上がった。「アベマTV」も報道番組を配信している。共にTVの資本が入っているものの、後者の代取は中堅、前者は若手。新たな風が吹き始めている。



社会を変える大きな要素は報道である。今までは政治・経済・社会はシニアが決めていた。だが、今は異なる。政界にも財界にも少ないが、若手と中堅がトップとして居る。最後は社会だ。若手を代弁する報道機関が強くなる必要がある。そうすれば、政治・経済・社会で若手の意見が反映され、実現していく。


若手を締め付ける嫌いがあるからこそ、若手を潤わせる。その果実は結局のところ、中堅・シニアが得れる。日本には若返り(アンチ エイジング)が求められている。先進国では、どの国も実現してない。チャンスだ。


金剛は若手が未来と知っている。若手が報われる道を創り続けたい。

最後に、こんな無理難題に挑戦する事を許し、支えてくれた報道府のメンバに感謝を申したい。


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