【社会・政治ニュース】 平成二十八年五月十日に東京・イタリア文化会館で行われた映画『Fukushima:A Nuclear Story』の上映会に出席した菅直人元総理大臣は、五年の歳月が過ぎた福島の原発問題について口を開いた。
東日本大震災当時、総理であった菅はあの日を振り返り「あの事故は未だに終わっていない。相変わらず汚染水という形で多くの放射能を海に流し込んでいる。そしてもう少し事故が拡大していれば、首都である東京にも人々は住むことができなくなっていた。それまでは日本はチェルノブイリのような事故は起こさなくて済むだろうと思っていたが、大きな間違いであった。そのことをきっかけに百八十度、考え方を変えた。」と後悔の念を表した。
続けて「原発をなくすことが日本にとって、これからの人々にとって大事なことだ。その考え方に立ち続け、世界の人々に本当の福島原発を伝えていくことが大きな意味を持つ。」と脱原発への強い意志を語った。
<原子力安全・保安院のトップは専門家でなかった>
会場からは様々な質問が菅へ向けられた。「なぜヨーロッパの様に夏時間を行わなかったのか、TEPCO/東京電力HD(9501.T1)に政府が介入しなかったのか。」という質問に対し、「率直に言うと、長い目で見ると夏時間は意味があるが、直接的には間に合わなかった。またTEPCOに対しては、政府は事故が起きた時に直接オペレーションを送り、代わりの要員を送るという体制は持っていなかった。」と答えた。
当時、電力会社をコントロールしていたのは、経済産業省(大臣:直嶋正行)のエネルギー庁の中にある原子力安全・保安院。菅が当時の状態について問うた所、ちゃんとした返事が出来ないと答えたそう。何故ならば、組織のトップは原子力の専門家ではなく、経済学部を出た人間で、それより前の政府の体制が、事故に対して直接介入できる体制がとれていなかった。そこで菅自ら東電に介入したが、マスコミは『過剰介入だ』と多く取り上げ、「それは間違った誤報である。」と菅は強く否定した。
スピーディは使うべきだった
「当時の法律では、原発のオペレーションは電力会社であり、住民避難に対してのオペレーションは政府。避難を判断する上で適切な情報が政府から得られなかったため、現場の責任者に自ら現場入りした。」と過剰介入ではなかった事を強く強調した。
緊急時 迅速放射能影響 予測ネットワークシステム『スピーディ』に関しては「情報はあったが、あくまでもスピーディは予測であり、実際に(放射線物質が)出た量が解からなければ使い様がなかった。しかし当時は、今考えると使用すべきであったと思う、申し訳なかったと思う。」と謝意を表した。最後に、「この映画を通して、福島に対してもっとたくさんの人が関心をしめすべきであり、たくさんの方にこの映画を見てほしい。」と語った。
0コメント