選挙・政治を無視すれば、国に無視される

【社会論説】 平成二十八年七月十日(日)に、選挙権が十八歳以上で初の国政選挙となる『参院選二〇一六』が投開票される。大メディアもこぞって、十八歳以上にまつわるニュースを連発する。それは若者が投票に行くのか、行かないのか。これを気にしている。つまりは「投票率」だ。与党も野党も若者の「投票率」を注視している。


光は当たってないが、二十歳と二十一歳も初の国政選挙だ。十八から二十一歳までで全有権者(およそ一億)の五㌫を有する。ネット系ニュースやシールズらの影響もあり、二十代中盤までの世代は渦中なのだ。どんな渦中か。それは政党やメディアが「若者を無視して良いか、否か」。今回の選挙は、そういう選挙だ。



<賢さを巧く使いこなす>

 イマは、与党も野党も若者を取り込もうと必死だ。世代が若くなるにつれて、頭の回転は早くなる。日本の教育が優れているお陰だ。よって、若者はすぐに矛盾点等を指摘するコトができる。凝縮(ゆとり)世代なら尚更だ。だから政治家も本当のコトを言い始めた。


憲法は民でなく、国を縛るもの(実際には、国民への禁止や義務事項も存在する)。国は民に差別をしてはならないが、経済は階層社会(ヘラルキ)である事実。上層階に行くには、お金とコネ(生まれた環境)がものを云うコト。選挙に来ない人より、来るシニアに税金をたくさん使うコト。消費税などでひたすら徴収するコト。暴露合戦が過熱している。



選挙に行かず文句はダメ

 夢も希望もないのは、選挙に行かないから。政治に参加しないから。法治国家で、選挙・政治に無関心である者に幸福は訪れない。否、訪れさせてはならない。そんなコトをしてしまえば、正に税金の無駄遣いだ。積極的に選挙・政治に関わる人を差し置いて、税金を回してはならないのだ。そう、若者や働き手世代が選挙・政治を無視し続けたのだ。


投票率が低い層より、高い層。応援してくれない民より、応援してくれる民。無視する民より、支持する民。合理的だ。合理的に夢や希望、未来を請求する権利はある。それが選挙だ。どんな政治家を選び代弁してもらうか、自身で考えるコトだ。それが政治だ。




<諸先輩方を見よ>

 三十代や四十代は、選挙・政治を過半数が無視し続けた。その結果が、イマだ。幸せになれる者は、資本主義で勝ち上がった者のみだ。カネやサポートがなければ、何もできない。何か事を起こしても潰されるのがオチだ。


ハイムは、アメーバという場を選んで報じている。代取が四十代の藤田晋。取材を通じ、エンタメだけでなく、報道でも社会でも闘う男の姿勢を信じたからだ。だからハイムは一報道媒体として情報を発信するコトができる。そう、誰を選ぶか。



アピールできる最後のチャンスかもしれない

 選べなければ、今回は様子見で白紙投票でも良い。何が何でも若者を含む若手の投票率を上げなければ、無視される。存在をアピールする。たった一枚で自己アピールができる。いつまでも甘えていてはならない。基本的には誰も助けてはくれない。協力関係が大人の関係だ。


そして、自身の人生を無視で大ブーメランしてはならない。十代、二十代、三十代、四十代、どの世代であっても人生は長い。大人である以上、自身等で考えて責任をもって行動しよう。既に六百六十万人以上が期日前に投票を終えている。

(了)

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