令和(Beautiful Harmony)時代に供給すべき芸術経営とその理由

【ビジネス・社会・経済論説】 令和時代には何故に芸術経営(デザイン経営)が奏功するのか。


順を追って説明していきたい。


日本は高度経済成長期・平成バブルで「Japan as No.1」となった。その前を視る。

日本は国際金融資本(欧・ロスチャイルドと米・ロックフェラー)と闘ったのが第二次大戦。ドイツも離脱を試み、日本と組んだ。結果は国際金融資本・欧米の勝ち。戦時中から日本は貧困に喘ぎ、米・GHQの政策で更に貧困化、戦後から米・ロックフェラー系日本となった。明治維新から第一次大戦頃までは英・ロスチャイルド系大日本帝国。

これは出資者、という意味だ。



戦後、世界でも最も貧困レベルが高かった日本には、あらゆる物が不足。だから作れば作った分だけ売れた。GHQの方向転換(共産推奨から排除)により、朝鮮戦争勃発。戦争特需で日本は沸いた。それでも日本に物は不足していた。貧困時代に団塊世代が産まれた為だ。物が無い時代、やる事は一つしかなかった。


そして冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビの「三種の神器」を欲し、カラーテレビ・エアコン(クーラー)・自動車(カー)の「3C」を一億人が欲した。需要が絶大だ。


大正バブルと同じ様に平成バブルで大いに豊かになり、再び、世界最高レベルの富裕国家となった。大正文化及び平成文化は世界に類を見ない程に高尚化した。平成バブル期に必要な物は派手さであった。派手への需要が米国企業の大買収やジュリアナの様に大いに伸びた。これを米国がストップし、平成不況に大転落。日本人は大いに財産を失っていく。


平成不況では安定した仕事を欲した。背景で非・正規労働者が生まれた。平成では衣食住を安定的に、収入も安定的にと“安定”への需要が絶大に上がった。“確実性”や“コスパ”が生まれたのも、この時代。平成不況から三十年ちかく経った今でも安定への需要は高い。ゆとり世代を診れば分かるだろう。


だが、一部では安定への長い追及は、衰退と気が付き始めている。

ただ、安定を追う事は、人生の意味が何も無い事に気が付き始めている。


だから、ゆとり世代達を筆頭に芸術(デザイン)へ目が行き始めている。インスタが典型的だ。


確実性やコスパを捨てた訳ではない。一義的なものが芸術になり始めている。芸術の需要の勃興だ。世は生きていくだけなら、スマホさえあれば事足りる。衣食住は働いていれば、そこまでに困らない。地方へ移転すれば、更に自由になるお金が増える。Uberイーツの若き働き手はお洒落だ。この日本は事実上のセレブである点も伝えた。世界は水や食、住む所、公衆衛生等の品質が悪い地域が圧倒的多数。その地域の者は、まともなものを求めている。


だが、先進国及び発展途上国は異なる。中間所得層が世界的に増え、その結果、これから伸びていく需要は芸術だ。


芸術性が高い商品・サービスを欲す。そして自身の人生に潤いを与え続ける。


仕事もそうだ。

第二革命の様な工場勤めは断る。第三革命の様なデスクで、ただPCにひたすら打ち込み続ける仕事も断る。もっと自由にもっと自分らしく。そんな人生を実現できる職場を欲す。無いなら創る。これを実現するのが、「テレワーク」「ワーケーション」「地方移住」。感覚的には遊牧民(ノマド)式。


ユビキタス社会(現代の事)が訴えられていた時代から、ノマドの出現は唱えられていたが、令和時代に漸く、若手から総ノマド時代に入る。求められるのは芸術。発想豊かに、人生豊かになれる芸術。


何を以て芸術とするかは、人の数だけ異なるし、タイミングの問題でもある。二十代では芸術と感じなくとも、三十代以降で気になる存在になるかもしれない。タイミングでさえも自由である。



芸術経営とは人の心を豊かにし、人生に新たなヒントや気付きを与えるもの。新しい自身になれるもの。IT言語なら、バージョンアップできるもの。そういったものを若きノマド達は欲す。それも世界的に。インスタが好例。この趨勢(トレンド)は十年以上も続くものと思われる。


令和は英意で「Beautiful Harmony」。外見だけでなく、内面、そして商品・サービスの機能性や効果等の美しさを求め、自身と社会を調和させる時代。


その様な時代の需要は、芸術に他ならない。

(了)

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