読解力と道徳の関連性を指摘|第一回『道徳教育学セミナー/麗澤大学大学院』

【教育報道】 令和二年十一月二十三日にオンラインにて麗澤大学(理事長:廣池幹堂)は、第一回『道徳教育学セミナー』を開講した。令和の道徳教育「特別の教科 道徳」 の充実に向けたセミナで、テーマは「道徳科の学習過程論」。対象は小中高の現職教員や退職教員、教育行政関係者、大学教員、道徳教育の研究者。


同大学大学院・学校教育研究科は、日本で唯一の道徳教育学に特化した大学院。小学校では平成三十年度から、中学校では平成三十一・令和元年度から「特別の教科 道徳」が始まっている。教科となった事により、学生には道徳の教科書が配布されている。道徳科は、戦中までは「修身科」。


基調講演は「日本道徳教育学会」永田繁雄 会長。永田会長は、道徳の時間が誕生した昭和三十三年からの歴史を振返りながら、令和時代の道徳の重要性や魅力と活力のある道徳授業を創る為の考え方を指し示した。道徳の授業は、報道現在で八十歳未満の国民が受けている。



<道徳という名のスタイル>

 「学習到達度調査(PISA)/OECD」における日本の子ども達の読解力低下に触れた。「本来は活用力であり、意見を構築して発信する力なんですね。」と読解力を説明。「これはもしかすると、道徳教育の大きな力が必要だという事です。」と、本調査より読解力と道徳心の関連性を指摘した。


令和時代の道徳を永田会長は、“「フレーム」から「パターン」へ、更に「スタイル」へ”と諭す。昭和から平成初期までの道徳は忌避傾向があり、軽視化・硬直化してきた旨を伝え、道徳の授業が横並びとなってしまった点を危惧。これはフレームやパターンの弊害である。「子ども達の柔軟性は、私達(大人)の柔軟性」とスタイルへの昇華を訴えた。

「教える」から「育む」へと比重が変わってきている。


また、「本音=基礎(価値?)・建前=基本、生き方の根本(価値観?)」とし、子ども達が「自分を真剣に語っていれば、本音でも建て前でも構わない。」と注意喚起。スイカを例に、子ども達が噛り付ける様に仕掛ける点も伝えた。そして「歯応え(子ども)→手応え(大人)→口答え(子ども)」と要諦も伝えた。



子どもは三密で人間関係を構築

 パネルディスカスでは、江戸川区の教育委員と江東区立大島南央小学校の校長が参加。主体的・対話的学び等につき、議論が交わされた。


コロナ禍の学校規制に関し、南央小の松原好広 校長は「子ども達の人間関係は三密によって築かれてきた。(現状では)人間関係の構築ができないんじゃないか。ある程度、三密が守れなくても仕方ないんじゃないかな。」と、子ども達への過剰な規制が、教育を阻害する点に警鐘を鳴らした。コロナにおける子ども(二十歳未満)の死亡者数はゼロ人。但し、本年度の子どもの自殺者は前年比で増加傾向。


最後に同大学院・富岡栄 准教授は「登山口、登山道ではなく、道徳性は達成できたか。」と道徳科の目標を登山に例え、入り口やルートは自由であり、登頂できる事を主眼とする旨を述べた。以下が、文科省の道徳科の目標。

より良く生きる為の基盤となる道徳性を養うため(資質・能力)、道徳的諸価値についての理解を基に(価値)、自己を見つめ、物事を広い視野から多面的・多角的に考え(価値観一)、自己の生き方(人間としての生き方)についての考えを深める学習を通して(価値観二)、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる(資質・能力の様相)


教育の全ては成果である。成果にならなくば、その教育は無価値に等しい。教育の結果は子どもの頃でも分かるが、成果とは大人になった時。社会人になった時に分かる。保護者は、確認の為に道徳化の教科書でリカレントするべきだろう。


記事:金剛正臣、画像:永田繁雄

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