その教育方針で子どもは八十年間、生きていけるのか

【教育コラム】 ハイムのユーザは統計により、子育て世代も多いので、氷河期世代・ゆとり世代の「子ども時代」の目線から教育上の大きなポイントを伝える。


親が子に教育を施す最大の目的は何か。


それは、成人してからの人生を生きやすくすること。じきに成人は十八歳となる。人生は百年時代(現時点での平均余命は男女ともに八十歳前後)。親は子が十八歳から百歳まで、生きやすくする為に教育を施す。


まず、この大前提がズレている親は多くないだろうか。

「その教育で子は現在の世の中、未来の世の中を生きていけるか」

「少なくとも、その教育方針で現在の世の中を生きていけるか」



ポイントを以下の三点に絞った。


  1. 「2ボス」システムより「1トップ」
  2. 善と悪
  3. 甘さ(冷たさ)と厳しさ(優しさ)



一つずつ説明する。全て子ども目線で見てほしい。一つ目は、両親の教育方針が一致しているか。家庭内の指揮・命令系統が確立されているか。「2ボス」システムは経営学でも悪手とされている。父親と母親の教育方針が異なると、子どもから見れば、「どちらも言っていることが違う(子どもはそう感じるもの)。どっちの言うことを聞いたら良いのだろう。」となる。


教育において両親の男女平等は親の自己満足に過ぎず、子どもから見れば、「1トップ」が良い。平等な両親に気兼ねする必要がないからだ。子どもにとっては上下あった方が楽。例として、昭和までは父親と母親で役割が分担して教育していた。父親は人生や仕事などの大きなこと。母親は家事や洗濯などの日々、生きていく日常生活のこと。


二人同時に責め立てることはしない。一方が叱ったり、諭していれば、一方は黙っている。役割分担しているので、子どもも、どちらに何を相談したら良いかが分かる。結果、一人の親に集中できる為、吸収度・成長力が高くなる。



二つ目は、善と悪の基準。これは、ゆとり世代が分からないことが多い。親からの教育で善悪の基準を教わってない。だから社会的に何をしたらダメなのか、何をしたら良いことなのかが分からない。教わってないのだから、分かるハズもない。


宗教を信仰している家は大丈夫。いわゆる仏教・キリスト教などは善悪の基準を指し示しているので、子どもは分かりやすい。ポイントは読める物がある点。親が何を言っているか、分からなくとも、経典などで善悪の基準を確かめることが、成人してからでもできる。「あの時、親が言っていたことは、こういうことだったのか。」など。つまり、ブレない。


宗教を信仰してない家は、どうしたら良いか。何もないと親の雰囲気で善悪が形成され、子どもにとっては曖昧。ならば学校でも習う「道徳」の教科書が良いだろう。昭和初期までは道徳の前の名前、「修身」があった。これで善悪の基準を学べた。修身の方も現代語訳でアマゾンなどで売っている。子どもも読んで確かめることができる善悪があれば、沁み込みやすい。

他には孔子「論語」などもある。



三つ目には、甘さ(冷たさ)と厳しさ(優しさ)。こちらも、ゆとり世代からの疑問が多い点だ。

「現在の世の中は甘いか?」

「未来の世の中は甘いか?」


甘いワケがない。厳しい。だから「焼け野原世代」までは、子どもを厳しく育てた。「しらけ世代」以降、子どもが手の内にいる間だけ親が甘くした結果、社会の厳しさとのギャップに悩む。特にゆとり世代のは顕著だ。彼らが社会に出て最初にやったことは、甘さから厳しさへの大調整。この作業は正にムダである。


ハナから厳しく育てていれば、社会の厳しさには何とも思わないだろう。事実、そういう氷河期世代は長い不景気を乗切ってきた。よって、甘さとは単なる親の自己満足であり、結果、教育上では冷たさとなる。逆に厳しさは、成人後の子どもが生きやすくなれば、教育上で優しさとなる。なにぶん、成人後は八十年も自身で生きていかなければならない。



以上、三点を踏まえ、自身の子ども達が八十年間も稼ぎ続ける、コロコロ変わる社会に八十年間も臨機応変し続ける教育を施す。まず両親が、この超長期の教育成果を見据えて、教育方針を真剣に考え、擦り合わせる時間が必要ではないだろうか。


記事:金剛正臣

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